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八木通商ビル up時では建て替えられてますが〜 可愛い角ビル 大好きでした! ※装飾が細かい! |
旧八木通商大阪本社ビル(旧大阪農工銀行) 辰野金吾・片岡安事務所設計の建物を、 昭和に入り国枝博氏デザインのファサードに改築し今の姿になる。 ※窓枠に拘りが〜 |
入口は鉄の扉 ※レンガ建物だったんですね。 |
旧大阪教育生命保険ビル 1912年(明治45年) 設計:辰野片岡建築事務所 以前はシェ・ワダの高麗橋店であったが、 現在はフレンチレストラン・ウェディングの オペラドメーヌ高麗橋。 ※げっけいじゅのが欠けている… |
東隣りは 吉兆本店 卯建が綺麗 ※私的には 敷居が高い… |
レンガ壁好きですねん! ※落語 鴻池の犬 思い出しながら〜 |
鉄の扉 ※銀行の威光が残っている〜 高層マンションと肩並べ… |
此処も 入れないやろなぁ〜 ※ |
日本基督教団 浪花教会〜 ※現在の教会堂は、アメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの 設計指導で、竹中工務店の設計・施工により建設。 |
ビルの取り合いに 古路箱が〜 ※我会でも前に〜 |
飾り彫刻は 波とバラ〜 ※皇紀元1930年 |
ステンドグラス 内部から見たいなぁ〜 ※改めて立派な建物に感心〜 |
古路箱好きですねん! |
三休橋交叉点には、道路名の由来となった三休橋が長堀川に架けられていたが、 1964年(昭和39年)に長堀川の埋立に伴い撤去された。 三休橋の名称の由来は、長堀川に架かる橋の中で往来の多い 心斎橋・中橋・長堀橋の三橋を休めるための橋と言われている。 御堂筋と堺筋の中間に位置し、船場では栴壇木橋筋(せんだんのきばしすじ)、 島之内では笠屋町筋(かさやまちすじ)とも呼ばれる。 (Wikipediaより) ※往時の商家が 辛うじて残されています。 |
あんなに空が狭くなかった〜 あの日… ※ |
久留米藩一番蔵の 正月飾りが再現されていました。 ※モダンなビルに変貌〜 何年残るのでしょうかね?? |
江戸時代の 萬歳が再現されて〜 ※ |
清水猛商店 竣工年・大正13年(1923)設計 住友工作部(小川安一郎) 鉄の鎖風庇が独特です。 ※板谷歯科医院ビル ドクトル 板谷辰次・銘板も 前に〜 |
モルタル風壁に 丸窓と タイル貼り 下の窓は アルミサッシですね。 |
土一升金一升の此の地 開発の大波が〜 ※残して欲しいですね。 |
綿業会館 東洋紡績専務取締役・岡常夫の遺族から贈られた100万円と 関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円(現在の75億円に相当)を基に、 1931年12月日本綿業倶楽部の施設として建設された。 近代の日本を代表する施設として国際会議の場として数多く利用され、 1932年3月には リットン卿を団長とする 国際連盟日華紛争調査委員会メンバー(リットン調査団)が来館するなど、 戦前の日本外交の舞台にもなっている。 (Wikipediaより) ※庇の意匠が〜 |
1945年3月の大阪大空襲で船場オフィス街は壊滅的な被害を受けたが、 この建物は各部屋の窓にワイヤー入り耐火ガラスを使用していたために、 窓ガラス1枚とカーテン1枚に被害を受けただけで殆ど無傷であった。 (Wikipediaより) ※設計は渡辺節らによりなされ、外観はアメリカのオフィスビル風でさりげないが、 クラブ建築らしく内部は充実しており、室毎に異なるスタイルで装飾されている。 ジャコビアン様式(イギリスの初期ルネサンス風)と言われる2階談話室は全室中最も豪華な部屋で、 映画やドラマの撮影などにもよく使われる。 非財閥の民間の建物でありながら、 内外装の細部に至るまでのデザインや最先端の設備の導入がなされるなど、 「最高」を求めた造作になっている。 |
なにかワクワクさせられる 窓枠ですね。 ※見学したいなぁ〜 |
ハイポーズ! ガス灯の道を ランプ点けて走りたいですね〜 ※ |