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なにわレトロビル巡り
戦争を生き抜いた
大正モダンの夢の跡(06)

大大阪時代(だいおおさかじだい)は、大正後期から昭和初期にかけて、
大阪市が大大阪と呼ばれていた時代のこと。
明治時代に隣府でかつての首都であった京都市を人口で上回っていたが、
1925年(大正14年)4月1日の第二次市域拡張によって、
大阪市は西成郡・東成郡の残余44町村全てを編入して、面積181平方キロメートル、
人口211万人となり、東京市を上回る日本一の大都市となった。
当時の世界でも6番目に人口の多い都市であった。

東南西北の4区からスタートした区の数も、同日をもって13区へ増加し、
天下の台所と称された近世以来の豊かな経済地盤を活かして、
商業・紡績・鉄鋼などあらゆる産業が栄え、文化・芸術・産業の中心として
近代建築が華開く街をモボ・モガが闊歩する、
華やかで活気にあふれた黄金時代だったと伝わっている。
大大阪時代は、関東大震災で被災した住民・企業の大阪移住でピークを迎えた。
象徴的な出来事としては、
大坂城天守の再建や御堂筋および大阪市営地下鉄御堂筋線の建設などがある。
(Wikipediaより)


※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成21年01月10日
                                           UP日:平成26年05月15日

開発の大波
堺筋にも〜



卯建付きの
三階建て

※生駒ビル
生駒時計店のビルとして1930年に竣工した。
大阪建築界の重鎮・宗兵蔵の事務所による設計で、
スクラッチタイル張りのアール・デコスタイル。
東面の時計台の下の出窓と丸窓は振り子を模したもの。
(Wikipediaより)


※鷲の彫刻が特徴的

卯建家屋が〜


報国積善会ビル
登録文化財だそうです。

※ 大手橋

本町橋

※本日休み
ゼー六さん
前にも

阪神高速道路の向こうに見える
丸い建物は
シティホール大阪

※西濃運輸
我町にも似たような
配送用荷物台が在りましたわ。

大阪産業創造館
レガッタ−にしたら
オープンでないし…
カヤックにしたら定員オーバー。。

※高速道路の高架部が〜

前に来た時には
更地にビルが建って〜

※小西本店は其のママ!
良かった〜

正月飾り

※キダさん
エエなぁと〜

小さな袖壁も〜

※柱を守る鉄の飾り。。
昔、大八車をぶつけたんでしょうか?

木製の窓枠は懐かしい〜

※神農さん

道修町の守り神

※少彦名神社

拝殿社

※社紋は薬

お祭りは前に
張子の虎を戴きました。



虎ですね。


青山ビル
マルフクコーヒー美味しかったなぁ〜
前にも
朋有り遠方より来る〜
46Poohさんお東より…

私と福ちゃん&
大阪ランプの会メンバーと〜
up時では無くなったビルも〜
やはり資料として…
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