基本坂道です!
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あの林は昔からの名残とか〜
※右角の御家は
鍛冶屋さんのような。。。
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おばちゃん〜
猫避けですか?
※豆腐屋サン
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あの森が原生林?・
※鳩飼料・器具
へぇ〜鳩だけ??
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突き当りの段差も気になります。
※路地も気になります。
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道は環七で寸断されてました。
※えっ?
此処自転車渡れんやん!
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歩道橋の袂に
北野町会掲示板
※北野町会商店街?
馬込銀座会でした。。
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一本内に入ったら
街道の様相〜
住宅が樹だとおもったら〜
納得
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正月風景とは思えない〜
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先へ〜
※ん?気に成りますが〜
登りなんで…
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みなみさんも気になって〜
※私は先へ!
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東芝会館過ぎる頃に〜
声が掛かって。。。
※ミスコースでした。。。
先程の公園に戻って〜
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蘇峰公園
徳富蘇峰の居宅跡(山王草堂)を公園にしたもの。
この地は静岡新聞社が所有していましたが、
1976(昭和61)に同社から大田区が譲りうけたとか。
※廿三夜
旧暦23日の夜,すなわち二十三夜に講員が宿に集まって飲食をともにしながら月の出を待つことをいう。
三夜様とも三夜供養ともいい,月待行事のなかでも最も盛んに行われた。
月待のマチは,神のかたわらに待座する意味らしく,この夜には神の示現があると信じられていた。
講は,村の小字,村全体,任意の者などを単位としていたが,女性,とくに嫁仲間で結成されることが多い。
地方によっては,二十二夜を女性,二十三夜を男性の集りとする所もある。
(世界大百科事典より)
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入新井町新井宿
1919年(大正8年)8月1日 - 入新井村が町制施行して入新井町となる。
大字名は、旧不入斗村が入新井、新井宿村が新井宿となる。
(Wikipediaより)
※登ってます。
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尾根筋道
※山の手ニャンコ
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先は〜
※馬の背からの下り〜
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すみませんねぇ〜
地図見役…
※下り過ぎで登ります。。
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一昔の家屋〜
好きですねん!
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大森貝塚目指して〜
※ええなぁ〜
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品川区まは遺跡が多いんだそうで〜
海岸線がこの辺りまで入ってきてたんでしょうね。
※大森貝塚遺跡公園
PM5:00迄ですと〜
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なに?これ〜
※子供たちは何でも玩具に〜
ミストも〜冬ですが。。。
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おお!モース博士
明治期に精力的に日本を愛してくれた
外国人の一人ですね。
※当日の二人共
ファンです!
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品川区・ポートランド市
姉妹都市
(品川区って…東京都ではないの??)
※此の段差の下まで
海は入ってきてたんでしょうね。
下はJRですやん。
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海岸線は埋立のせいもあって
4〜5kmも向こうです。
※大波のようにJRの列車が〜
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1877年(明治10年)6月17日に横浜に上陸した
アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、
6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、
大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、
9月16日発掘調査を行った。助手ら3人とともに土器、
骨器、獣骨を発見し、9月29日にも訪れ10月9日から本格的な発掘をおこなった。
(Wikipediaより)
※
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大森貝塚の碑
※列車か見えますか?
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土地由来
この辺は昔、幕府の天領で大井村鹿島谷と呼ばれていた。
大津事件の大審院院長として日露戦争前に
司法の独立性を主張した児島惟謙(これたか)が此の地に広大な屋敷を建てたとか。
(看板より)
※駅まで少し〜
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成田山大森不動尊
※日枝神社サン
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大森貝塚公園と大森駅の間の
NTTデータ大森山王ビル横の小道を
線路側にはいったところに、
もう一つの大森貝塚碑があります。
此処もJRに向かって建っています。
※
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大森貝墟(塚?)
※
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へぇ〜っと。。
※NTTデータ大森山王ビル横の小道を
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太古の海には
こんな生物が闊歩してたの?・
※基本坂道
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お疲れ様〜でした!
ポタ終了
JR大森駅にて
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直立不動での酒盛りはエエの??
でも、アキマせんわ!
自転車乗っててもフラフラするから。。。
すみません〜
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み様〜お疲れ様でした!
又遊びましょ!! |