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久し振りの地蔵さんと、ランチしませんか?
浮ドンから〜
でも、諸事情で短ポタ〜
森ノ宮〜網島町〜中野町(11)

朋有り遠方より来る〜
今年も、地蔵さんが酷暑の秋田より
灼熱地獄の大阪に〜
梅雨明け十日〜〜

前には京都2ルート。
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今回は大阪東部路地へ〜
浮ドン、まだまださんと!!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年07月05日 

アルパチーノで鱈腹食って
カメラも充電済んで〜
次予定のある
ぢ様とは此処で、お別れ〜!

※旧国鉄省線(現JR環状線)
沿いを〜

昔、此の右側には
練兵場が〜
その後、省線で
この場所を通る時には、
目隠しで日除けを降ろさなければならなかったと
前に、砲兵工場で働かれていた
先輩に伺ったことが在ります。

※大阪城方向〜
タイサンボクが咲いてました。

朝のコースとループして。



此の鉄橋を渡って
アパッチ族は旧砲兵工廠に
侵入したとか〜

※昔、此処には
砲兵工廠詰所が〜

平和な時期が一番ですなぁと〜



寝屋川渡って

※片町へ〜
片側には民家
片側は河川
依って片町となったとか。

大きな地蔵尊

※大阪城がニヤリと〜

此処に昔、京阪電車片町駅が
在りましたんや!
と、まださん話しながら〜

※浮ドン大欠伸〜
看板にも歴史が〜
此処は市電とダイヤモンドクロスしてたんですわ。


淀屋橋方面

※網島辺りを〜

近松文学
心中天網島
小春と予め示し合わせておいた治兵衛は、
蜆川から多くの橋を渡って網島の大長寺に向かう。
町名琺瑯看板

※太閤園は、昭和34年(1959)にオープンした格調高い庭園と宴会場や高級料亭からなる、
およそ7000坪の敷地をもつ施設。
もとは明治42年(1908)頃、当時の財界の雄であった
藤田傳三郎氏が大川(旧淀川)畔に築造した「綱島御殿」に遡る。
(HPより)


此処も〜

※桜宮橋(さくらのみやばし)とは、大阪市の大川に架けられた国道1号の橋。
大阪市北区天満橋1丁目と都島区中野町1丁目を結ぶ。銀色の橋であることから「銀橋」と呼ばれており、
こちらの名称の方が有名となっている。設計は武田五一。

付近は大川沿いに桜之宮公園が広がる。
なお、国道1号の拡張および銀橋の補修工事のために、北側に新桜宮橋(新銀橋)が建設された。
新銀橋は安藤忠雄の設計で、既存の銀橋に合わせたデザインとなっている。
(Wikipediaより)


大川堤は
桜ノ宮HOTEL街
なんですが〜
少なくなりました。

※ネオン看板も
見えないもんね。
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
カモさん、福ちゃん、ねずみ君、まー殿
お休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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