アルパチーノで鱈腹食って
カメラも充電済んで〜
次予定のある
ぢ様とは此処で、お別れ〜!
※旧国鉄省線(現JR環状線)
沿いを〜
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昔、此の右側には
練兵場が〜
その後、省線で
この場所を通る時には、
目隠しで日除けを降ろさなければならなかったと
前に、砲兵工場で働かれていた
先輩に伺ったことが在ります。
※大阪城方向〜
タイサンボクが咲いてました。
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朝のコースとループして。
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此の鉄橋を渡って
アパッチ族は旧砲兵工廠に
侵入したとか〜
※昔、此処には
砲兵工廠詰所が〜
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平和な時期が一番ですなぁと〜
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寝屋川渡って
※片町へ〜
片側には民家
片側は河川
依って片町となったとか。
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大きな地蔵尊
※大阪城がニヤリと〜
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此処に昔、京阪電車片町駅が
在りましたんや!
と、まださん話しながら〜
※浮ドン大欠伸〜
看板にも歴史が〜
此処は市電とダイヤモンドクロスしてたんですわ。
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淀屋橋方面
※網島辺りを〜
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近松文学
心中天網島
小春と予め示し合わせておいた治兵衛は、
蜆川から多くの橋を渡って網島の大長寺に向かう。
町名琺瑯看板
※太閤園は、昭和34年(1959)にオープンした格調高い庭園と宴会場や高級料亭からなる、
およそ7000坪の敷地をもつ施設。
もとは明治42年(1908)頃、当時の財界の雄であった
藤田傳三郎氏が大川(旧淀川)畔に築造した「綱島御殿」に遡る。
(HPより)
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此処も〜
※桜宮橋(さくらのみやばし)とは、大阪市の大川に架けられた国道1号の橋。
大阪市北区天満橋1丁目と都島区中野町1丁目を結ぶ。銀色の橋であることから「銀橋」と呼ばれており、
こちらの名称の方が有名となっている。設計は武田五一。
付近は大川沿いに桜之宮公園が広がる。
なお、国道1号の拡張および銀橋の補修工事のために、北側に新桜宮橋(新銀橋)が建設された。
新銀橋は安藤忠雄の設計で、既存の銀橋に合わせたデザインとなっている。
(Wikipediaより)
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大川堤は
桜ノ宮HOTEL街
なんですが〜
少なくなりました。
※ネオン看板も
見えないもんね。
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