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地球温暖化?秋空の生駒の裾から〜
神武天皇・河内湖と秦氏・太秦を考える?
秋祭りとエエ天気〜
鴻池新田諸福〜(02)

徳川家康が豊臣家を攻めた大坂冬・夏の陣では、若江が激戦の地となり、
大坂方の武将・木村重成はここで戦死しました。
江戸時代、河内平野を南北に流れ、毎年のように洪水を繰り返していた大和川は、
今米村・中甚兵衛らの幕府への請願が実を結び、宝永元年(1704年)堺までの付け替えが行われました。
広い旧川床や池沼地は埋め立てられて新田となりました。
大阪の豪商、鴻池善右衛門が開発した鴻池新田1 2 には、いまも豪壮な会所が残っています。
旧川床には木綿が栽培され、河内木綿の名が全国に広がりました。
山麓地帯では、水車を利用したいくつかの地域産業が発達しました。
文化面でも松尾芭蕉が元禄7年(1694年)「菊の香にくらがり登る節句哉」の句を残し、
日下に仮寓していた上田秋成が「山霧記」「鳴鶴園記」などの作品を残しました。
ついで文化・文政の時代から幕末にかけ、国学、和歌、俳諧などを学ぶ庄屋層を中心とした
多彩な河内文芸が醸成されたのです。(東大阪市HPより)


今回も大阪東部路地へ〜
ねずみ君、まだまださんと!!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年10月12日 

中環渡って生駒を背に
地車が〜

この辺りも前に〜
新しい長屋の名残

※松の木が歴史を語ります。

産土神社祭礼なんですね。

※鴻池商店街
凱旋門のような〜

コンクリ芸術家屋ですね。

※木製フォントも〜

見返って〜

※祭礼の空気の中…

鴻池大橋
寝屋川の向こうに生駒山
大東市と東大阪市の境界線上

※渡れば〜
諸福に入っていきます。

街道ですね。

※寝屋川沿いを古堤街道が通っています。

大きな地蔵堂

※此の段差が街道の証

石畳が残されて〜

※東の方向へ〜

街道沿いをキョロキョロしながら〜

※背高蔵にトタン被せ家屋が向こうに〜

大きな楠が目立ちます。

※立派なトタン被せ屋根。


路地の突き当りにも〜

※狭い街道は特に好きです。
唐臼も〜

腰高蔵

※秋の日が良いですよ!

乗得寺さんの屋根が〜

※咲き始めの
金木犀が香っていた日でした。


地蔵堂がある路地
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
浮ドン、カモさん、福ちゃん、まー殿
お休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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