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地球温暖化?秋空の生駒の裾から〜
神武天皇・河内湖と秦氏・太秦を考える?
秋祭りとエエ天気〜
布市・春日神社(05)

『日本書紀』によると、太歳甲寅(日本書紀太歳(大歳))年の10月5日、
磐余彦(神武天皇)は兄の五瀬命らと船で東征に出て筑紫国宇佐に至り、
宇佐津彦、宇佐津姫の宮に招かれて、姫を侍臣の天種子命と娶せた。
筑紫国崗之水門を経て、12月に安芸国埃宮に居る。
乙卯年3月に吉備国に入り、高島宮の行宮をつくって3年又は8年滞在して船と兵糧を蓄えた。
船団を出して速吸之門に来た時、国津神の珍彦(うづひこ)(宇豆毘古命)、
後の椎根津彦(日本書紀。古事記では槁根津彦)を水先案内とした。
戊午年の2月、浪速国に至る。
3月、河内国に入って、4月に龍田へ進軍するが道が険阻で先へ進めず、東に軍を向けて生駒山を経て中州へ入ろうとした。
この地を支配する長髄彦が軍衆を集めて孔舎衛坂で戦いになった。
戦いに利なく、五瀬命が流れ矢を受けて負傷した。
磐余彦は日の神の子孫の自分が日に向かって(東へ)戦うことは天の意思に逆らうことだと悟り兵を返した。
草香津まで退き、盾を並べて雄叫びをあげて士気を鼓舞し、この地を盾津と名付けた。


今回も大阪東部路地へ〜
ねずみ君、まだまださんと!!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年10月12日 

まずは北西から
布市の神社へ〜

※此処も東西に伸びた
生駒からの細い河川沿いの形状です。

西の外れに
公園を併設した神社が…

※やはり河川は天井川状態…

東西に貫く昔からの道路から
北方向に参道が…

※東方向は生駒山のTV塔群が〜
昔は、映画館関係者がダイナマイトで吹きとばせ…
なんて、物騒な話を伺ったことも〜

春日神社なんですね。

※一の鳥居端の白髭大明神

参道から見返れば…
春日神社碑は
皇紀2600年銘でした。

※燈籠が参道の証

石材に腰掛けて〜

※秋晴れの境内

拝殿社正面

※地車なんですね。

新しい狛犬



右は大峰信仰碑

※ボール蹴り(サッカー?)
ボール投げ(野球?)
石投げ(??)
その他不良行為(全てダメ)
ですよね…


提灯が下げられるのでしょうね。
鉄枠

※クヌギ系のような葉の
神木

手水舎に盃状穴見っけ!
此の日は唯一です。

本殿舎の傍に
砂岩の昔の狛犬見っけ!



円柱は鳥居でしょうね。

※拝殿社から見返って〜

西の恩智川合流部
見に行きます。

※農家の名残

北方向
南方向は前に

※掛かる橋は盾津橋
(由緒ある名ですがね)

川の堤から生駒はすぐそこに〜

盾津橋交差点横から〜

※東へ向かって〜

合流部近くは
閉塞感の有る堤防脇道路

※もう少し東へ行けば〜
環濠状態…

石材橋

※少ない宅地の中にも畑が〜

トタン被せですが〜
私の好きなのが有りました!

※地車の出る
秋祭りは再来週ですかね。

突き当りの家が集落の外れ
南北には狭いんですわ。



外環状線渡ろうと〜
ん?右下にはトンネルが〜

※トンネル東方向に出た所に
地蔵様

河川の鮒になった気分で潜りました。

車止め!
絶対に駄目!!
強烈な意思表示。。

※渡ってから見返って〜
いま来た西の集落方向

目隠し塀
堤防状態の東西の道路です。

※南北には村中への路地

此処にも

※この部分は
目隠し河川です。

街道脇の地蔵堂

※入りたいでしょう〜

入ります!
緩やかな勾配を
北方向に下ります。

※北へ〜
2本の東西路地が有ります。

土蔵〜
修理願います…

※東方向へ〜

大乗寺さん



あの先が、主たる道

左は、
昔は田や畑なんでしょうね。

※東方向も緩やかに
生駒の裾が迫ってきました。

布市から日下へ抜ける道なんですわ。
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
浮ドン、カモさん、福ちゃん、まー殿
お休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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