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地球温暖化?秋空の生駒の裾から〜
神武天皇・河内湖と秦氏・太秦を考える?
秋祭りとエエ天気〜
善根寺町・春日神社(09)

善根寺春日神社
神社は、天児屋根命・比女神・経津主命の四神を祭神としています。
社殿によると、神護景雲二年(768年)に枚岡神の分霊を大和国の春日(春日神社)へ遷座した時、
25人の者が供奉して移り住み、後に故あって河内へ帰り、
この地へ春日四神を勧請してなお奉仕したのが本社の起源といわれ、
また其の家柄の人々が春日座と称し春日神社の屋根葺替などにも出仕したといわれます。
春日座25人衆は明治初年まで継続され、座で伝えられ、地元に残る春日鹿曼荼羅は、
室町時代に遡る文化財として貴重なものです。
神社では、10月15日の『おだいつ祭り』のための神酒をつくる造酒神事が10月1日に行われます。
造酒用の清水は、東方山腹にある龍の口と呼ばれる所から汲まれ、宮座の神事としてとり行われます。
本殿の南側には、造酒斉殿があり、道具類と共に市の民俗文化財に指定されています。
(東大阪市の歴史と文化財2による)


今回も大阪東部路地へ〜
ねずみ君、まだまださんと!!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年10月12日 

石材店が多いんですわ〜

※地蔵尊
昔からの人の流れが感じられます。
東高野街道沿い

石畳が残されています。

山への道



大川の上流部
下流は布市

※明治の初期には姿を消した
善根寺の一里松跡碑
前には

江戸時代には大変賑わった船着場の
この場所に金比羅燈籠が残されています。



東へ向かうと〜

※農家の様相〜

津の元地蔵尊
(津=港?)



下り藤紋
善根寺会館

※生駒が近くに〜

菩堤寺
古くは村名のもととなる善根たらという寺名でした。
本尊は阿弥陀如来像です。
宝前の銅製釣燈籠一対は天保15年(1844)足立重三郎が寄進したものです。
境内にある花崗岩製の十三仏板碑は戦国時代末期の作です。
(東大阪市文化財ガイドマップより)


※地蔵尊

コスモス揺れて〜

※秋本番!

大阪府史蹟名勝天然記念物
孔舎衙坂直越登り口






提灯を吊るんでしょうね。

※夏なら蝉しぐれが〜
なんて思いながら。

裏山の後ろには
阪奈道路が走っています。

※UFO先生の関わりの有る所とか〜



※拝殿社

拝殿社正面



江戸時代に梵学研究と
仏教の復興に尽くした慈雲尊者(1718〜1804)の筆により
寛政6年(1794)に寄進されたものとか、
この額の裏側の刻銘に見える「東光院」は、元宮寺として
明治の初めまで境内に存在した真言宗の寺だとか〜
(看板より)


※前にUFO先生から
教わったことの有る
日本最初春日神社扁額
社殿を読めば〜
枚岡神社よりは後ですが…
奈良の春日神社とは??



※吽
此処の狛犬は肉感的です。
丹波佐吉さんとは関係ないのでしょうか?

子持ちと玉持なんですわ〜
後世のものでしょうか?

躍動感が違いますね。




 
※手水舎

摂社
稲荷社

※孔舎衙坂古戦場
此処が激戦地だったのでしょうか?
と言うことは〜
このページの初めの金比羅燈籠や津の元地蔵
近くが上陸場所??

天神さんも〜

※奉納牛

手綱に〜注連縄?
何でしょうか?

※本殿舎

神社では、10月15日の『おだいつ祭り』のための神酒をつくる造酒神事が10月1日に行われます。
造酒用の清水は、東方山腹にある龍の口と呼ばれる所から汲まれ、宮座の神事としてとり行われます。
本殿の南側には、造酒斉殿があり、道具類と共に市の民俗文化財に指定されています。
(東大阪市の歴史と文化財2による)


※岩座でしょうね。

安岡正篤先生記念植樹

※塩川正十郎記念植樹

 造酒斉殿

 牛乳箱が気になりましてん〜

※此の段差が苦戦の印
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
浮ドン、カモさん、福ちゃん、まー殿
お休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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