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地球温暖化?秋空の生駒の裾から〜
神武天皇・河内湖と秦氏・太秦を考える?
秋祭りとエエ天気〜
清滝(16)

讃良郡(さららのこおり、ささらのこおり、ささらぐん)は、かつて河内国・大阪府にあった郡である。
和名類聚抄には「佐良良」という訓が記載されており、古くは「さらら」と読んだ。
持統天皇の名「?野讃良」の「讃良」は讃良郡に由来するものであり、「うののさらら」と読まれる。
「さらら郡」には更占郡などの表記もある。のちに「さら郡」という読みが現れ、
近世以降はもっぱら「ささら郡」と読まれる。

近世以降の讃良郡は、現在の大東市の一部(旧住道村・四条村)、四條畷市全域(旧甲可村・田原村)、
寝屋川市の一部(旧豊野村・寝屋川村)に相当する。
(Wikipediaより)


今回も大阪東部路地へ〜
ねずみ君、まだまださんと!!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年10月12日 

福城寺サン

※先の杜が神社だったと〜

お地蔵様に挨拶して〜



先は國中神社サン
前にも

※清滝地車庫
傾斜道路が多くて大変でしょうね〜


頭の大きな
可愛い狛犬さん


※吽

まださんも苦笑い〜

※奥の石物達

奥の狛犬(先代でしょうか?)


※吽

撫牛も〜

※其の向こう〜東側は
生駒山が迫ります。
崩土も〜

遥拝所
方向的には〜
伊勢?大神神社?

※地車曳行担当割表
丸をつけてくださいねと…

地車の輪

※手水舎

梅田のビル群が〜霞んでます。。

※國中神社参道
国中神社は『延喜式』神名帳の讃良郡に載る同名神社(官幣小社)に比定される。
  江戸時代の地方文書には天神宮、天満宮、大蛇宮の名称で見え、「大蛇宮」は水の化身といわれる龍を祀る神社で、
農業神として村内の信仰を集めていた思われるが、1882年(明治15年)の中野村地理誌は祭神、由緒不詳としている。
現在の神社名は(明治4年)村社に列せられたのを機に、『延喜式』神名帳に載る「国中神社」の名を復活させ、
1917年(大正6年)逢坂の大上宮を合祀した。

坂の町
清滝の村中〜

※地蔵様

下りましょか〜

※正圓寺サン

綺麗な屋門
弁柄色も〜

※下りは大好き!

旧清滝川上流地帯の土砂乱獲に伴い
下流地域に於ける豪雨の氾濫で数度の被害を受け
地域住民の要請で分水川を
昭和48年から建設推進協議会を設け
土地所有者の方々の、ご協力で
10年余りの年月を掛けて完成した。
昭和60年銘


※清滝川横を一目散



東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
浮ドン、カモさん、福ちゃん、まー殿
お休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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