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なにわの春は野崎参りから〜
元春日神社、神武天皇の足跡、石切神社まで…
フルメンバーポタ
鶴見(03)

久々のフルメンバーポタは
上方落語の3代目桂春団治氏の十八番
思い出しながら〜
えっ?浮ドン
野崎参りは東海林太郎氏??
歌かいな〜〜汗

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成26年05月03日
                                           UP日:平成26年05月08日

古堤街道は、
井路横の道だったんですわ

※角に本日第三講中の大峯山講

往時の土塀も〜
前にも
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※劔街道(中高野街道)
交差して〜南に行けば放出へ!

お宮の骨接屋さん〜

※本日三社目
鶴見神社さん

 地名の由来(鶴見区HPより)
鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野で巻狩(四方から狩場を囲んで獣を捕らえる狩り)をしたときに、
千羽の鶴に金の短冊をつけて放したところ、この地に飛来して住み着いた。
その鶴を見物にくる人が多く、「鶴見」という呼び名がついたという言い伝えにちなむとともに、
区内に府下最大の鶴見緑地があることから名付けられたものです。

(1)地域内の低湿地がツルの群生地であった。
(2)治水と関わる八剣伝説(阿遅速雄神社)をうけて、そのツルギがツルミに転訛した。
(3)旧下之辻村の開村が源頼朝の命令といわれ、頼朝が富士の裾野での巻狩で放った
多数のツルの飛来地という伝承によるなどいろいろあるが根拠となる明確な原典が存在せず、
口伝の領域から採用されたものである。


※日露戦争記念碑
鉾のレプリカ?

摂社:福龍社

※手水舎

狛犬


※吽

遥拝所
伊勢神宮でしょうか?

※紀元2600年銘

コンクリ製の本殿、拝殿社
摂社:住吉神社、素戔嗚尊、稲荷社

※境内

平安期に近江國坂本比叡辻の農民17人が当地を開拓し
その時の郷里の地名を取り辻村とした。
以後、旭区の上辻村に対して下辻村と江戸期に成った。。
へぇ〜

※鶴八社

井路跡ですって!
水運にも使われたんで住吉社も〜

※オバァちゃん大丈夫?
と聞けば〜
お掃除中でした。。

縦横に井路が走っていたと〜
知り合いだった自転車屋さんの近く。

※花博いのちの塔が近くに見えます。
花博の時にドブ川状態に成っていた
西三荘川を暗渠化としプロムナードとした。
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
マー君だけ転勤で、お休み〜
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