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少し早い目の春霞(PM2.5?)。
京都の春間近!東山から北山へ〜
寺院と神社と旧村を一人でブラリ〜
水源地・信仰と五山の送り火の山・御土居に力石…
京都の原風景を想いながら〜

奥の院(白川砂) 06

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
UFO先生の大学時代。
先生の足跡を探して…

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年03月05日
                                           UP日:平成28年03月15日
                                           

信徒会館横から〜

※奥の院に続く道が〜

第一番
こんから童子
36童子とか…

※少しコナレタ屋根が
気に成りますが〜

谷沿いにも道はありますが〜

※参道はぐるりと回りこんでいます。
36童子ですんで〜

見返れば〜

※先を行きます。

 参道沿いに〜

※東山の他の峰も見え隠れ…

 屋根が落ちてました…

京都一周トレール

※法の文字が〜
ダイブン下に見えます。

鎖場も〜

※足場も〜

奥の院

※お堂の裏に〜

元勝軍地蔵石室
山道が険しいので
江戸時代に現在の場所に移したとか。

※石室ですね。

石室内部は〜

※裏から見たら
石室とは分かりませんね〜

脇から〜

※瓜生山頂(301m)
北白川城本丸跡・元 勝軍地蔵
はるか昔に、この山の下にマグマが貫入してきて
比叡山より高い山が出来た。
両隣の大文字山北側と
比叡山の南側には古生層が変成岩になった。
貫入したマグマは、花崗岩と成り
表面から徐々に崩壊し白川砂と成った。
平安時代以降には宮廷や寺院建築礎材や、
石仏や石燈籠に利用された。
又、白川砂は枯山水庭園に重要な役割を持った。

近江の六角氏が此の地に安置した
勝軍地蔵は江戸期に入っても
痘瘡無難の信仰厚く
現在の将軍地蔵山に移したとか。


山城跡でも在るんですね。

※幸龍大権現額

京都トレールの一部
オートバイのタイヤ跡が
気に成りましたが〜

※北白川天然ラジウム温泉は
この方向ですかね。

参道下って〜
本堂屋根が見えてきました。



境内見下ろして〜

※扁額正面
見上げて〜

破魔矢?

境内摂社前の玉垣
三橋千賀子さん
小さな恋のものがたり
ちっちとサリーですね。
家内がファンでしたわ。

※下りも足元気をつけて〜

オロナイン軟膏
浪花千恵子さん

※花菱アチャコさん

ゆっくり見たら面白いかも…

また来ますね〜



枯山水庭園
白川砂ですね。。
曼殊院さん

※見返って〜
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
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