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少し早い目の春霞(PM2.5?)。
京都の春間近!東山から北山へ〜
寺院と神社と旧村を一人でブラリ〜
水源地・信仰と五山の送り火の山・御土居に力石…
京都の原風景を想いながら〜

西賀茂(大将軍神社) 20

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
UFO先生の大学時代。
先生の足跡を探して…

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年03月05日
                                           UP日:平成28年03月15日
                                           

神光寺さん西側に
大将軍社参道
瓦窯跡はわからなかったです。

※大将軍神社(たいしょうぐんじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。
西賀茂地域(今原、鎮守庵、総門、田尻)の産土神(氏神)で、
本殿に主祭神・磐長姫命(いわながひめのみこと)とその家族神四柱を祀る。
京都市内には複数の大将軍神社が存在することから、それらを区別するため、
当社を西賀茂大将軍神社(にしがもたいしょうぐんじんじゃ)と呼称することもある。
(Wikipediaより)


鬱蒼とした社森

※南側正面

神社案内板の由緒書きによると、創建は609年(推古17年)とされる。
桓武天皇の平安京造営に際し、王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」を祀り、
当社を北方の守護神としたと伝えられる。
また、創建当初からこの地域には瓦窯が設けられ、
平安時代には官衙(かんが、古代の役所)の瓦を焼いていたとされる。
近くにある神光院が慶円に創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており、
「瓦屋寺」と呼ばれていた。当社はその鎮守の社でもあった。
古くは「須美社」「角社」(すみやしろ)とも呼ばれ、方違え(かたたがえ、かたちがえ)、
疫除けの神として信仰を集めている。

※本殿は、1591年(天正19年)に造営された賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社・片岡社旧本殿を、
1628年(寛永5年)から1636年(寛永13年)の間に移築したものである。
一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、賀茂社最古の建物とされている。
同じく片岡神社の刻銘のある鉄燈籠(とうろう)とともに、1985年(昭和60年)に
京都市指定有形文化財に登録されている。
また、境内に鎮座する建築物と、それを取り囲む樹木とが一体となって、
鎮守の森としての境内景観を留めており、京都市によって当社境内全域も
「大将軍神社文化財環境保全地区」に決定されている。

(Wikipediaより)
 
拝殿舎

この石柱は?

※1591年(天正19年)に造営された
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社・片岡社旧本殿

綺麗な檜皮葺屋根

※立砂

東側末社群
片岡神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
貴船神社 高?神(たかおかみのかみ)
稲荷神社 宇気母智神(うけもちのかみ)
角社 素戔嗚尊(すさのおのみこと)


※西側末社群
愛宕神社 火之迦具神(ほのかぐつちのかみ)
松尾神社 大山咋神(おおやまくいのかみ)
八幡神社 応神天皇(おうじんてんのう)
春日神社 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
山王神社 大山咋命(おおやまくいみこと)


立砂
頂上には何もない。
上賀茂神社は松葉が有ったのに〜

※多くの氏子街名提灯

社紋は葵紋



西側の裏口

※手水鉢

扁額
上賀茂神社サンと
同じ注連縄意匠




大将軍社裏門

※石屋さんも

東側は東山〜比叡山

※しだれ梅も満開!

薬師山
白毫山一様院さん

※西向いて〜
向こうに見えるは鷹ヶ峰(312.1m)
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
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