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今回の目的地の一つ 飛鳥川の荷物集約地 どんな景色に会えるのか〜 神社が見えます。 ※侵入ルートが絞られてます。 |
葱坊主・春菊の花 我が家の畑でも咲いてます。 ※参道 |
昔より明治25年ころまで、寺川の水流を利用して盛んに舟をやり、大阪より堺に入り、 堺よりこの濱に至る間、諸の荷物の運輸をなせり。 これより濱というにいたり。この地にある人家をも濱と通称するに至れりと。 (磯城郡川東村外三ヶ村風俗志より) 大和川の水運は亀瀬(かめのせ)(三郷町・王寺町)の河上に露出した岩磐のため、 ここを境に上流・下流で二分されていました。 上流は魚應(やな)船が、下流は剣先船が就航していました。 享保期(1716〜1735)の記録では、初瀬川筋は嘉幡、寺川は今里、 飛鳥川は松本までさかのぼることができました。そこには浜(港)があり、 問屋の倉庫が並んでいて、各地に陸送する人馬が常備されていたといいます。 しかし明治25年に大阪鉄道(いまのJR関西線)の開通によって、 大阪と大和盆地間の物資の交流は、これに奪われてしまうことになりました。 いまは今里にも松本にもその面影はありません。 松本では「浜橋」という橋の名にのこすのみです。 (田原本に伝わる昔話より) ※この広さは水路(環濠) 蓋被せの跡。。 |
松本寺さん ※流れ地蔵様は奈良だけでなく 大阪にも〜 地蔵様の舟型の光背は彼岸と此岸の渡舟 成る程! |
流れ地蔵様 舟形が欠けて居られるのが そうでしょうか? 他の地区から来られたと言うのを 流れて来たと言ったのでは? ※脇の御堂〜 |
御堂ノ前、道路脇に 布袋様像 ※中々の造作 |
大慶寺銘 石を上手く利用して… 此処にも名人石工が〜 ※ |
前の三宮神社サン ※古い敷石付きの拝殿舎 |
扁額 ※ |
ライオンズクラブサン 感謝です! |
手水舎 前には石臼 向こうに金剛寺が見えます。 ※石製神馬 各地に陸送する人馬が常備されていた関係? |
狛犬 阿 ※吽 |
なにわ型 ※三之宮… 百度石? |
本殿舎 ※拝殿舎から本殿舎に 渡る太鼓橋 |
文化期の 本殿舎前狛犬 阿 ※吽 |
反対側から〜 ※ |
参道を のんびりと〜 ※さて、集落中へ〜 |
まずは曽我川側(西側から) ※川までの畑地 近くに金剛寺との共同 遊水地(洪水時の水溜)が有る。 |
菜種風景が〜 絞って菜種油がとれたんでしょうね。 ※周辺道路からは、 入り口が限られていました。 環濠の名残でしょうね。 |
集落中へ〜北側から… 農家というより商家本家の面持ち ※環濠跡 |
明治期には 賑って居た路地 ※複合『目』文字路地 |
倉庫の面影も〜 ※屋門 |
商家の面持ち ※ |
煙抜き家屋も〜 ※屋門 |
スタンダード軒 漆喰で火事対策? ※馬も歩いたんでしょうね。 |
環濠の欠片〜 ※煙抜き家屋ですが〜 半分は倉庫? |
倉庫ですかね? ※昭和も混じって… |
環濠案内 読めないですね… ※メインの通り〜 人馬の往来想いながら。。 |
環濠埋めたんでしょうか? ※綺麗にされて〜 |
新旧取り混ぜて〜 生きてる路地です。 ※ |
舟板は見ないですね〜 ※あれれ… |
鼻垂れ小僧が出てきそう〜 ※煙抜き家屋 瓦が… |
環濠の欠片〜 ※ |
倉庫が並んでいたんでしょうね。 ※木戸 |
環濠向こうの砦のような… ※ |
郵便局も有ります。 店はない… ※ |
土蔵 ※先は浜橋 |
一周してきました。 ※昭和15年5月銘 |
何でしょうか? 附近に人影は…無いし ※樋門跡ですか〜 飛鳥川から環濠に水を引き込んだ跡 |
親切・美化・花咲くふる里 1996 船溜まりだった?? ※先が欠けた地蔵様 此処にも〜 |
心に余裕を持ち 災難のない一生 ホンマやね! |
魚應(やな)船行き交った 飛鳥川下流側 ※上流部 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に御仕事にて お休み〜残念! |
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