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関地蔵院さん せきの地蔵さんに振袖きせて奈良の大仏むこに取るの俗謡で名高い関地蔵院。 天平13(741)年、奈良東大寺で知られる行基菩薩が、 諸国に流行した天然痘から人々を救うため、 この関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。 この本尊は日本最古の地蔵菩薩で、関に暮らす人々に加え、 東海道を旅する人々の信仰も集め、 全国の数あるお地蔵様の中でも最も敬愛されていると言われています。 境内の本堂、鐘楼、愛染堂の3棟の建物は国の重要文化財に指定。 ※関の地蔵と一休和尚 元禄8年(1695)に記された『地蔵院略縁起』には、「昔日紫野大徳寺の一休和尚関東行脚の時、 所の者開眼を請ひければ即ち衣の襟を尊像へ供養し給うなり。」とあります。 また、寛政9年(1797)に発行された『東海道名所図会』には、このように書かれています。 修繕をした地蔵の開眼供養をしてほしいと考えていた村人たちが、 関宿を通りかかった一休和尚に頼んだところ快く引き受けてくれました。 しかし、一休和尚は 「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ いでぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」と詠み、 立小便をして立ち去ってしまいました。 これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらいましたが、 その晩、高熱を出したある村人の夢枕に地蔵が立ち、供養を元のようにせよと命じました。 あわてて桑名の宿にいた一休和尚に助けを求めると、 地蔵の首にかけるようにと古びた下帯を手渡され、 言われたとおりにしたところ、高熱は下がったといいます。 (亀山市観光協会HPより) 一休さん〜逢ってみたかったなぁ。。 |
鐘楼〜 ※ |
明治天皇も寄られたとか〜 脇の説明はコンクリで埋められて… |
本堂前 ※勢いのある扁額文字! |
小さな地蔵様 ※せきのちさう銘燈籠 盃状穴は見られない〜 丸に一つ鱗紋 |
賓頭盧尊者像 何処の物も漆?弁柄?が禿げている〜 何で?? ※本堂より 街道望む〜 涼やかな風が… |
神鹿? ※彫り物は 唐獅子牡丹 |
一休が 開眼供養の 地蔵院 (関宿かるたより) ※手水鉢 |
地蔵院前の御店 旅籠だったんでしょうね〜 ※会津屋さん |
この日、往復した道ですが〜 ※松葉屋さん (元火縄屋:田中家) 鉄砲や携帯火種用ですね。 |
建て替えられた家屋もありますが〜 町並みは其のままに。 ※京都へ向かっています〜 |
誓正寺さん ※先の鈴鹿の峰が、 この地の特徴的に… |
タイムカプセルで 現れたような可愛い家屋。 ※確かドクター |
電柱がない街道風景は スッキリしています。 ※お米屋さん |
エエなぁ〜 ※盂蘭盆会の季節 下がり藤紋 |
くどいようですが 何処を撮っても絵になります〜 ※綺麗に残されて… |
ウットリします。 ※ホンマ邪魔な電柱がなくてね。 |
関西山 福聚寺さん (観音院) 戦国時代の戦火にかかったとか〜 ※境内 |
境内の燈籠 丸に一つ鱗紋 ※多宝塔 |
本堂 ※脇は観音山への道 |
ご近所の方に 観音山の事や昔の関の街の事を お聞き出来ましたが〜 一番面白かったのが タクシー会社に務められていた頃の 大阪ミナミでの、お話〜 大笑いして… |
西側の 宿場外れ〜 ※関神社御旅所 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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