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川の水運が賑わった地区へ〜 新町に行かずに寄り道をば… ※まだ高台状態。 |
路地は河岸段丘上です。 ※こっちでッセ! |
この塀は… 天理教教会。。 ※ |
煉瓦塀も〜 ※赤い塀 赤いシャツ 赤い自転車! |
違い鷹羽 紋入りの樋 ※あの森に惹かれます〜 |
有りました! 二見の御霊神社サン ※正一位稲荷 桜姫大明神サン |
御祭神は井上内親王とか 9世紀末あっちこっちに御霊神社が建立され、 一般に御霊として祀られている八所大明神は井上内親王、他戸親王、 崇道天皇(早良親王)、伊豫親王、藤原夫人、観察使、橘逸勢、文室宮田麿の八柱ですが、 五條市霊安寺鎮座の御霊神社は、本社に井上内親王、他戸親王、早良親王の三柱を祀り、 後一柱に丹生川(にうがわ)をへだてた御山(みやま)町の 火雷神社(からいじんじゃ、若宮火雷神社)の 火雷神(ほのいかずちノかみ、他戸親王の同母弟)を祀り、合わせて四所大明神と称しています。 1428年(正長元年)御霊神社(御霊本宮)が土一揆に際し、 守護・畠山氏によって焼かれ、1455年(康正元年)の棟札も残っているが、 現在の本殿は県文化で、1637年(寛永14年)に再建され、三間社流造で、 1472年(文明4年)五條市中之町に鎮座する御霊神社の本殿が創建され、 こちらは現在国の重要文化財に指定され、 13世紀に御霊(ごりょう)本宮から10ヶ所に御霊神社が分祀され、 更に宇智郡各地に勧請されて御霊信仰が一円に広まり、 現在五條市内に全部で23もの御霊神社があり、本社の秋祭は毎年10月下旬で、 渡御神事があり、御旗、神具を先頭に神輿が進み、 行列は100余名、御旅所では出店も出て賑わい、五條市内を御渡して、 夕刻本社に還幸しますが、市内至る所にある個々の御霊神社でも祭事が行われ、 子どもの山車(だし)も出て五條市内は祭り一色で賑わいます。 (五條市HPより一部抜粋) ※二見神宮寺観音堂 神仏分離別れたとか… |
境内脇の小さなお堂ですが〜 ※拝殿舎 |
供養塔 |
コナレた狛犬 阿 ※吽 |
狛犬の お手本て〜 口伝?図面?? ※泉州堺南旅籠町銘 奉納者 |
拝殿舎内絵馬 南朝武士 楠木正成? 絵馬と武者絵が多い ※ |
楠木正成 ※川中島の戦い |
楠木 正成(くすのき まさしげ)とは、 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。 後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、 建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に天皇を助けた。 尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。 明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。 後醍醐天皇が隠岐島に流罪となっている間にも、 大和国(奈良県)の吉野などで戦った護良親王とともに、 河内国の上赤坂城や金剛山中腹に築いた山城、 千早城に籠城してゲリラ戦法や糞尿攻撃などを駆使して 幕府の大軍を相手に奮戦した。 (Wikipediaより) |
本殿舎 一間社春日造り |
境内〜 ※手水舎と稲荷社 |
三台のブロ ※川面までは〜 |
浮ドンは、ファルトボートで この川を下った思い出も〜 昔は、上流からは木材を流したんでしょうね〜 吉野杉か。。。 ※ |
フライフィッシングをされていました。 五新線鉄橋予定地も〜 ※奈良吉野川は、この場所で大きく蛇行します。 今度は吉野へ行きませんか?と。。 |
遠く五新線も目指した 十津川望む〜 ※ |
行きましょう〜 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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