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2017年の年始は天井川を見に。
能勢街道・西成郡辺りをブラリと〜
色んな出会いが!

南郷(今西家土居屋敷跡) 16

昨年からの目標はフルサイズ!
フルメンバーは、中々時間が取れなくて・・・
久々の浮ドンとまださんとトリオポタ〜
だからいつもの神社と路地探し。。。
相棒自転車はブロくん達+プー嬢

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年01月04日
                                           UP日:平成29年02月07日

天竺川堤防を〜



大乗妙典一字一石塔

前に京都では〜

地蔵様も

※不動様も

小曽根村南郷の路地

※大きなお屋敷

南郷春日神社碑
寿永2年(1183)豊中市全域に広がる摂関家の荘園「垂水西牧」が
奈良春日社に寄進されたのを契機に、社家の中から現地管理をおこなう目代(荘官)として、
また藤原秀郷の勧請を起源とする南郷春日神社の祭祀を司るため下向した今西氏の屋敷です。
現在も今西氏が居住する屋敷地は往時には方2町(約216m四方)の範囲が内外二重の堀で囲まれ、
発掘調査でもその堀跡などの遺構が各所で確認されています。
現在、屋敷地には宝永8年(1711)建築の主屋、延享3年(1746)に奈良春日社の若宮社殿を
移築した南郷春日神社本殿があり、
伝来する膨大な中世文書からも当時の様子が総合的に復元できる貴重な史跡として
国の指定を受けています。
(豊中市HPより)




正門です。

※堀は判らない。

摂津今西氏(せっついまにしし)は、春日大社の荘園目代である。
なお、大和国今井に豪族の今西氏があり、川井今西氏は十市氏の一族である。
藤原鎌足から遡るという説と十市氏発祥の地である奈良県橿原市十市町には
十市御縣坐神社と十市城跡があることから事代主命から系譜する
十市県主を元祖であるとする説もある。
春日大社の若宮神主中臣氏の支流で摂津の春日領の惣代官であった。
(『東院毎日雑々記(興福寺蔵)』)
寿永2年(1183年)に摂政基通、摂津国垂水西牧を寄進する。(春日大社文書655)
垂水牧の鎮守として春日社が南郷(正預方中臣氏)に勧請される。
奈良春日社々家辰市祐恩が、天文年間に社領垂水牧現地代官たる今西氏に対して
河上関代官改替につき指令した文書が残っている。(『今西家文書』)
永正7年(1510年)1月1日に戌亥権預祐維、今西と改名する。(祐維記(日)16)
二重濠に囲まれた城郭形式の春日大社南郷目代今西氏屋敷は、
昭和47年(1972年)大阪府指定史跡となり、平成21年(2009年)に国の史跡に指定された。
社家36代目である今西春房は明智光秀の娘を娶っていたが
弟の今西春光が山崎の戦いに明智方として参陣したかどで豊臣秀吉の怒りを買い、
所領を没収された。
嫡流は江戸時代に入って上津下村の領主となった飯野藩主保科氏の庇護を受けて
復興を許されたが明治時代に再び廃された。
大阪府豊中市に府指定史跡として今西氏の屋敷が残っており、現在も今西家の個人宅となっている。
また春房の娘は、中川秀成の養女となってから津山藩主森忠政の正室となっていたが、
その縁で春房の息子である浅田宗英が2700石、今西道春が1500石で津山藩士として召抱えられている。
更に後にも森家は今西氏から多く召抱えたようで時代を下った森家の分限帳にも
今西姓の人間が見られる。
(Wikipediaより)




唐臼

※飾り瓦

近所の耕地内に有る森?
古墳?

※何でしょうか?

周辺からは春日社は判らない。



脇の空き地



母屋

※近所の正月飾り

次へ〜

※東方向へ〜

小曽根村小曽根
東方面へ〜



屋門も〜


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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