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2017年の年始は天井川を見に。
能勢街道・西成郡辺りをブラリと〜
色んな出会いが!

長興寺(種取池) 19

昨年からの目標はフルサイズ!
フルメンバーは、中々時間が取れなくて・・・
久々の浮ドンとまださんとトリオポタ〜
だからいつもの神社と路地探し。。。
相棒自転車はブロくん達+プー嬢

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年01月04日
                                           UP日:平成29年02月07日

若竹池
溜池の多い地区

※軍人さんの墓

服部緑地溜池



夕日に照らされて〜



 (2016.12.11撮影)
緑地内の古墳

※梅塚古墳

  (2016.12.11撮影)
長興寺焔硝蔵場跡
『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)p50「煙硝ぐら始末記」には、
蛤御門の変のころに、爆破されるのを防ぐために焔硝蔵の火薬を
近隣の池に投げ込んだとの記載があり。
また『新修豊中市史第7巻 民俗』p245には、焔硝蔵の跡地は田になったことと、
江戸時代に火薬が神崎川の渡しから高川沿いに運ばれるときには、
沿道では火を使うことが禁止されていたとの記載があり。
(レファレンス共同データベースより)




天竺川沿いに戻って〜



天竺川沿い



雨乞いの種取池

※雨乞の種取池
明治の初め頃まで、長興寺の皿池で雨乞いの神事が行われていました。
伝承によると、神事をおこなうことがきまると、雨乞社(雨乞師)という
特別の家(4〜5軒あり)のものが竹生島へ火をもらいにいき皿池で身を清めて、
この地域の氏神である住吉神社の境内で行ったとされています。
その様子は、大きな松の木に松明をともし、社殿の前で鼓・太鼓をたたいて
「雨たもれ龍神どの」とはやして行ったと伝えられています。
しかし江戸時代の「豊島郡誌」には村の長者が斎戒沐浴して、雨具を着け、
深夜神燈を消して神殿に進み、鍋をかぶって夜通し祈祷したとあり、
雨乞いの方法にも変化があったことがうかがえます。
豊中市教育委員会


皿池ですって〜


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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