山裾を平行移動して〜
標高130m辺り
※
|
山の辺の道は句碑の道〜
※布留法楽三十首
月待て嶺こへけりと聞ままに
あはれよふかき はつかりの聲
十市遠忠句碑
|
未舗装は手振防止の
最大の敵なんですが〜
流し撮り〜
※先へ〜
|
梨の木でしょうか?
柿は有名なんですよ〜
※昔はアンノン族が闊歩した…
|
農地の畔を〜
※内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は
奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院である。
興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え、
大和国でも有数の大寺院であったが、
廃仏毀釈の被害により明治時代初期に廃寺となった。
寺跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いにあり、
かつての浄土式庭園の跡である池が残る。
大和国では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であり、
その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、
江戸時代には「西の日光」とも呼び習わされた。
(Wikipediaより)
|
この辺りに大寺院が有った〜
※『太平記』によると延元元年・建武3年(1336年)には後醍醐天皇が
一時ここに身を隠したと伝えられ、「萱御所跡」という旧跡が残された。
(Wikipediaより)
※
|
明治に入って廃仏毀釈の嵐の中で寺領を没収され、
経営基盤を奪われた当寺は廃寺となって僧侶は還俗し、
石上神宮の神官となった。
更に、壮麗を極めた堂宇や什宝はことごとく徹底した
破壊と略取の対象となった。
この際流出した仏像・仏画・経典等はいずれも
製作当時の工芸技術の精華と言うべき優品揃いであったことが知られている。
海外に流出した宝物の内、ベルリン民俗学博物館が購入した
真然筆と伝えられる真言八祖像などは
第二次世界大戦末期のベルリン市街戦で烏有に帰した。
しかし、日本国内に残存した宝物の大半が、
現在重要文化財・国宝指定を受けていることは、
当寺の得ていた富がいかに巨大であったかを物語るものである。
(Wikipediaより)
※歴史遺産を…
廃仏毀釈は愚行だと思ってしまいますね〜
|
残された庭園跡の本堂池
※夕陽に柿の木も
手を振って〜
|
藤が野生化して〜
※
|
芭蕉が20代の頃詠まれたとされる
「内山やとざましらずの花ざかり」
句碑
※
|
山の辺の道道標
|