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紅葉の季節、西国街道の要所だった
大阪北部の高槻へ!
高山右近の夢の跡〜

春日町(春日神社) 08


だからいつもの神社と路地・旧村探し〜
「鶯の啼くや鵜殿の河柳」蕪村。。。
相棒自転車は久々のUFO先生T号とブロ君達!
今年の目標はフルサイズ!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年11月04日
                                           UP日:平成30年03月31日

枚方街道から
南へ少し入った場所。

※春日神社サン

忠魂碑も〜



一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ)
(安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。
教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは
学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。
官位は陸軍大将正二位勲一等功二級。
彼の武名を一躍世に知らしめたのが日露戦争での旅順攻囲戦である。
歩兵第6旅団長として参加した彼は第一次総攻撃では盤竜山東西堡塁を攻撃し
配下の大内守静歩兵第7連隊長が戦死する程の死闘となるも占領に成功。
日本軍で唯一目標の占領に成功した。
続く第二次総攻撃でも無名の1保塁(日本側呼称「P保塁」)を占領する
武功を挙げその功によりこの保塁は「一戸保塁」と呼ばれるようになった。
なお、一戸は上級司令部である第三軍司令部の作戦指導に対して
当初は懐疑的だったそうである。
しかし、奉天会戦後に第三軍参謀長となり、当時の作戦日誌を読み返した結果、
当時の司令部の作戦指導は妥当であったと得心した、と戦後に述懐している。




春日神社扁額

※拝殿舎正面

拝殿舎正面の扁額

やはり化粧地蔵様



多宝塔にも化粧されて〜

※梵字が〜
まだサン見たら喜ぶでしょうね〜


本殿舎裏側

現代の枚方街道〜

※井路が〜
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
冬季五輪は日本勢大活躍!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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