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紅葉の季節、西国街道の要所だった
大阪北部の高槻へ!
大楠公の夢の跡〜

島本町桜井(楠公訣児處) 21


だからいつもの神社と路地・旧村探し〜
「青葉茂れる桜井の」桜井の決別より
相棒自転車は久々のUFO先生T号とブロ君達!
今年の目標はフルサイズ!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年11月04日
                                           UP日:平成30年04月03日

国指定史跡 桜井駅跡
桜井の別れ(さくらいのわかれ)は、西国街道の桜井駅(桜井の駅、さくらいのえき)で
楠木正成・正行父子が訣別する逸話である。
桜井駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなった。
桜井の駅の別れ、桜井の訣別ともいう。
古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の
教科書に必ず載っていた逸話であり、
いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話であった。
「駅」とは宿駅のことで、711年(和銅4年)に
摂津国島上郡(現在の大阪府三島郡島本町)に置かれた
大原駅であるともいわれている。
(Wikipediaより)

※運動場の様な〜

忠義貫乾坤 碑

※昭和14年の桜井駅跡拡張工事の影響で
移築されたとか…

楠公父子訣児之處 碑


※明治天皇御製 碑

子わかれの
松のしづくに 袖ぬれて
昔をしのぶ さくらゐのさと
東郷平八郎筆



何年経っても名は残る…



『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。
『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。
菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。
文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで
95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。
奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。
略称は続紀(しょっき)。
(Wikipediaより)


元は、旗立松が
決別の名残だった…

これが明治30年に枯れた旗立松

※牟礼町(むれちょう)は、香川県にあった町。
高松市の東に隣接していた。五剣山から花崗岩の庵治石が掘れるので石材業が盛ん。
また彫刻家イサム・ノグチのイサム・ノグチ庭園美術館があることや、
平安時代末期の屋島の戦いの舞台となったことでも知られる。
(Wikipediaより)


手水鉢にも説明書きが〜

※自然石合わせた
手水鉢

正成所用の兜をかたどった…



↓楠公父子訣別之所 碑
乃木希典 筆


※楠正成傳説地

滅私奉公

※銅像は供出されて
現在はコンクリ製とか〜

西国街道を東へ〜


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
冬季パラ五輪は日本勢大活躍!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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