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令和元年、2019年の5月GWの2発目は〜
やっぱり奈良が好き!

八重桜は満開!〜山笑う〜大和朝廷の名残…
田植え直前の里山風景〜
今ですよ今!
有名人の足跡も…へぇ〜
御所市原谷 圀見神社 17

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜

行きは近鉄にて帰りはJRで輪行ポタ〜相棒自転車は…プー太!

皆様方はブロ君3台!!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年05月04日
                                           UP日:令和元年10月07日


曽我川の上流部に近い場所
中流域の水運は前に



JR和歌山線高架下



三光丸の創製は鎌倉時代末にさかのぼるとされ、当主の米田(こめだ)家には
「『三光丸』の名を後醍醐天皇より賜った」という伝承がある。
米田家は、鎌倉時代中期から戦国時代末にかけて
南大和(現在の御所市・橿原市・高市郡)に勢力を伸ばした
豪族越智氏(大和越智氏)の庶流であり、天正年間に越智氏が滅亡すると、
他の有力な家臣団と同様、故地にとどまって帰農した。
同家はまた、農業のかたわら、三光丸をはじめとする家伝薬の製造を副業とした。
このことは、越智氏隆盛の頃より米田氏が医薬を担当していたという伝承を裏付けている。
江戸時代に入り、越中国富山と前後して大和国でも配置売薬(いわゆる置き薬)が
始められたが、江戸後期に入ると、三光丸の米田家は南大和の同業者を束ね、
大和売薬発展の一翼を担った。
この頃、大和売薬は富山売薬に次ぐ勢力に成長し商圏を各地に広げていたが、
幕末期に至り、各地で富山と大和の業者が競合し、値引き・中傷合戦を呈しはじめた。
慶応2年(1866年)、これを憂慮した三光丸の当主米田丈助(じょうすけ)は、
越中国富山の総代3名、加賀領総代2名を招き、大和の売薬業者72名を集めて話し合い、
業務協定を結んだ。その内容は
『仲間取締議定書連印帳(なかまとりしまりぎじょうしょれんいんちょう)』に記され、
それぞれの代表が一部ずつ保管した。
配置家庭薬(配置薬)をはじめとする医薬品の製造・販売は、
現在も奈良県の主要な地場産業のひとつであり、医薬品の配置販売業も富山県に次いで盛んである。
(Wikipediaより)




国見神社へ〜



真っ直ぐは大口峠方面

※先へ〜

キョロキョロしながら〜



鰯の頭も〜

※地蔵尊

多宝塔ですね。

※前掛けで見えません〜

登山道の様相〜

※墓地脇の登山道〜

登山道

※獣除柵

一の鳥居

※参道

日露戦争軍人記念樹碑

※国見神社碑

立派な参道



石燈籠も多い

※見返って〜

照友会銘

※神社沿革

拝殿舎

※平和記念絵馬
ホンマですわ〜

武者絵



手水舎

※手水鉢

本殿舎正面



奈良のスタンダード型狛犬


※吽

社殿内狛犬も居る本殿舎

※見返ると〜

本殿舎全景






扁額



皇霊遥拝所
橿原神宮

※鬼瓦

杉林

※お邪魔しました〜




下ります〜





平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は8年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
阪神大震災も24年…今年こそエエ年に!
平成末は北大阪大震災・豪雨・台風被害
令和初年は台風15号被害に胸が痛みます。
遂に天皇陛下は年下に〜
消費税も10%に!!
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