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令和二年、2020年!今年は東京五輪だったのに~
コロナウイルスの全世界拡大で延期とか(3/26)…
この頃は未だ他人事で…
梅は咲いたか桜は未だかいなと~
渡来人や有名人の足跡探して…
摂津の山並み南側山裾の地区をポタリ~

此処にも古墳群や須恵器窯跡も~
今ですよ今!
前には
~今回は、まださん・浮ドンと!

大阪府茨木市 西福井(新屋坐天照御魂神社) 12
だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…
皆様、ブロ君でトリオポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和二年02月23日
                                           UP日:令和二年05月10日


今の道へ~
2019年4月1日より「北大阪警察病院」は名称を「医療法人成和会 
北大阪ほうせんか病院」と改め、
新たなスタートを切っています。本病院は急性期から回復期を担当し、
慢性期、緩和ケアを担当する同一グループの「ほうせんか病院」とスムーズな連携をとり、
包括的医療サービスを提供します。
(北大阪ほうせんか病院HPより)


※次はアッチと
地元に方に伺って~

遠くに生駒の峰を望みながら~



府立福井高校横目に~

※桜の花の季節には
奇麗でしょうね。




福井村(ふくいむら)は、大阪府三島郡にあった村。概ね現在の茨木市福井・東福井・西福井・中河原町にあたる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、島下郡福井村・中河原村の区域をもって発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が三島郡に変更。
1955年(昭和30年)4月3日 - 茨木市に編入。同日福井村廃止。
明治なかば、福井村の農民・二反長音蔵が福井地区で麻薬原料のケシ栽培を志し、
台湾総督府の後援を得て大規模な産業化に成功、かつての福井は、白い花の咲くケシ畑が一面に広がる、
東洋有数のアヘンけしの大産地であった。戦後はGHQがケシ栽培を禁止し、すべて途絶した。
いまは数少ない文献の色あせた写真が、かつての盛況を伝えるのみである。
(Wikipediaより)


こんな感じで~



参道正面

※扁額

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に
「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大 月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として
記載される式内社(名神大社)である。以下の三社が論社とされ、
中でも西福井のものが中心的な神社とされる。
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市西福井) - 旧郷社
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市宿久庄) - 旧村社
新屋坐天照御魂神社 (大阪府茨木市西河原) - 旧村社
上記の3社は互いに関連しており、西福井から宿久庄・西河原に分祀されたものとも、
『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座」と記載されていることから、
それぞれが1座ずつに対応するものともみられている。
なお、社名にある「新屋」とは一説には「新野」を意味し、
古代における新開拓地の意味であるとされる。
(Wikipediaより)


※多くの石燈籠
お邪魔して~

境内風景~

※20m程の比高差

手水舎

※手水鉢

日露戦争記念碑



拝殿舎正面

※側面

 奇麗な拝殿舎です。

※扁額

社務所

※境内摂社

本殿舎

※正面

狛犬


※吽

左大臣

※右大臣も鎮座して~

石燈籠には
正法寺銘
神宮寺でしょうか?

※曰く在りそうな石燈籠
龍や武田菱紋
なんでやろ?
菱紋はその均等の取れた美しいデザインから、
日本では古くから用いられてきました。
正倉院などに残されている染織物や木工品などの調度品に使われていたほか、
平安時代では御簾の縁などに描かれている文様として、
天皇家や宮家などが愛好していた事でも知られています。
天皇家が使っているこの紋様は武田菱とは関係はないのです。
天皇家で使われていたデザインを武田氏が武田菱と呼び
家紋としたといった方が的確でしょう。
(歴史をわかりやすく解説!ヒストリーランドHPより)


境内摂社
出雲社



本殿舎前の石燈籠

※出雲大社遥拝所

厳島神社?と思えば~

※大海神
石神(大海神) 境内の池に鎮座する神で、明治の中頃まで早魃の際、
荒縄でしばり担いで耳原井手に行き、そこで水づけにしました。
そして、雨が降れば水から揚げて元の場所へ戻し、
人々は礼拝して喜びあったといわれています。
(新屋坐天照御魂神社HPより)


稲荷社

※丸山稲荷と称し、伏見大社の奥社の丸山稲荷を勧請したものと思われます。
当社所有の古図(貞享三年)にも記載があります。
(新屋坐天照御魂神社HPより)


多くの末社
六社神社サン

※つとの御前神社・尾上神社

宇奈太理神社・構八幡神社

※立川原神社・田畑神社

道祖大神碑
道祖神(さえのかみ) 石標が立っています。
以前は歯神として崇敬され、
昭和の中頃までは石造の冠姿の神像が祀られていました。
鎌倉時代のものといわれており、現在は別所にて厳重に保管しております。
(新屋坐天照御魂神社HPより)


※神輿倉

境内風景



石燈籠

※煤が~

天満宮

※梅鉢紋ですね。

神武天皇遥拝所
橿原神宮ですね。

※住吉神社遥拝所

太神宮遥拝所
伊勢神宮ですね。



お札収め



歴代天皇
今上天皇
遥拝所



紀元2557年
明治30年なんですね。
今上天皇=明治天皇ですか~
川端さん
康成さんの一族でしょうか?

※顕彰碑?

日露戦争のことも書かれています。
何やろか?

※大正2年
氏子中有志

石橋が一番上に~

※昭和30年に
福井村が茨木市合併
50周年記念碑

参道なんですね~

※石燈籠も~

見返って~

※樽屋
和泉屋
江戸期には此の地と関係が深い
商人が~

新屋古墳群
新屋坐天照御魂神社の宮山が見えてきます。
この山の東斜面に総数30基ほどの新屋古墳群があります。
横穴式石室を内部主体とする6世紀後半から7世紀の群集墳です。
昭和37年、平成3年に発掘調査がおこなわれています。
群中最大の古墳は径16mの円墳である26号墳です。
石室内には組合式石棺が安置されており、
副葬品にはガラス小玉、杏葉、辻金具といった馬具、
鉄刀、須恵器(杯身・杯蓋・高杯・壺・提瓶)がありました。
(橿原考古学研究所 友史会HPより)




参道

※此処も参道

佐保川沿い

※一の鳥居

 高木・蓑田翁彰徳碑

※参道脇に~

内容は~?

※裏面無地

佐保川に架かる宮橋

※参道見返って~

佐保川
上流

※下流部

宮川の東側に~
四国青石の石碑

※記念碑

内容は?

佐保川堤脇に地蔵堂



お地蔵様は何かの軸受けだったんですね。



亀岡街道沿い~


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