
奥の院から自動車移動です~
※徳川家霊台(とくがわけれいだい)は、
和歌山県伊都郡高野町の真言密教の聖地・高野山にあり、
江戸幕府初代将軍徳川家康と2代将軍秀忠を祀る霊屋(たまや)である。
徳川家霊台は、かつては高野聖方の代表寺院であり、
徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内に建つが、
大徳院は明治時代に他寺院と合併して廃寺となり、現在霊台は
高野山真言宗大本山の金剛峯寺に属する。
霊屋は、秀忠の死の翌年に当たる1633年(寛永10年)に
3代将軍家光によって造営が開始され、10年の歳月を費やして
1643年(寛永20年)に落慶法要が行われた。
江戸時代には「おたまや」(御霊屋)と呼ばれていた。
(Wikipediaより)
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屋門の意匠と彫刻に
まず目が行きます。
※木彫が~
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牡丹の花
透かし彫りも~
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軒下の木彫も綺麗に~
※蟇股に獅子
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霊台まえの石畳
※霊屋(霊舎)は位牌堂であり、向かって右に家康霊屋、
向かって左に秀忠霊屋の2棟が並び、それぞれが透塀で囲まれ、
正面に唐門がある。
家康霊屋前にのみ鳥居が建つのは、家康が東照大権現という神として
祀られていることによる。
建築様式は禅宗様である。
(Wikipediaより)
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2棟はほぼ同じ作りだが、家康霊屋の向拝の蟇股(かえるまた)には虎の彫刻、
秀忠霊屋には兎の彫刻がある。
それらは家康が1543年(天文11年)の寅年生まれ、秀忠が1579年(天正7年)の
卯年生まれであることにちなむ。
(Wikipediaより)
※唐門の向こうに~
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細かい木彫の塊~
※虎の両脇には、王が仁政を行うと現れる霊獣とされる麒麟が彫刻され、
家康を称えることを意味する。
また兎の両脇に虎が彫刻されているが、これは秀忠が家康に見守られた
正当な後継者であることを意味する。
霊屋は約6m四方の一重宝形造で、欅材を使用し、構造材に
1641年(寛永18年)の墨書銘がある。
(Wikipediaより)
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迦陵頻伽の描かれた図像は浄土を表現していると理解され、
同時に如来の教えを称えることを意図する。
中国の仏教壁画などには人頭鳥身で表されるが、日本の仏教美術では、
有翼の菩薩形の上半身に鳥の下半身の姿で描かれてきた。
敦煌の壁画には舞ったり、音楽を奏でている姿も描かれている。
その一方で、礼拝の対象として尊崇をうけることはほぼなく、
浄土を描いた様子あるいは仏具を荘厳するために用いられることが多かった。
(Wikipediaより)
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霊屋は約6m四方の一重宝形造で、欅材を使用し、
構造材に1641年(寛永18年)の墨書銘がある。
桁行3間、梁間3間、正面に1間の唐破風向拝が付き、屋根は瓦棒銅板葺で、
また外壁、扉には濃密な木彫が施され、柱、欄干なども含め、
いたる所に飾り金具が使用され、金襴巻(きんらんまき)という
通常は絵師が文様を描く部分には、装飾金具を何枚も重ね張りすることで
表現している。
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軒を支える組物は「三手先」(みてさき)、軒の垂木は放射状に並ぶ扇垂木である。
垂木は黒漆仕上げで、垂木と垂木の間には金箔が貼られている。
軒より下は、欅材の木肌が白く見え、長い年月を経て、一見無塗装に思われるが、
古文書に「拭漆」とあり、当時は欅の美しい杢目(もくめ)が透けて見え、
春慶塗のような淡いべっ甲仕上げだったと考えられている。
(Wikipediaより)
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桜に鳳凰?
※唐獅子牡丹
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彫金は綺麗に残されてます。
※彩色も~
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380年以上前の木彫が
綺麗に残されています。
※少し残念
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鉄髭龍も象も~
※四重の蟇股
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木鼻獅子
※鉄髭龍
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擬宝珠にも気合が~
※迫力が有ります。
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三代家光の時代なら
平和な時代だったんでしょうね。
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かなり諄い感じも~
此処までしたら迫力です。
※明治維新時にも良く残った物ですね。
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内壁は金箔貼りで、家康霊屋には鷹が、秀忠霊屋には獅子が描かれている。
これは家康が鷹狩を好んだことにちなみ、また獅子は、秀忠の守り本尊である
文殊菩薩が乗る獅子にちなむと考えられている。
内部は障壁画などで飾り立てられ、柱や組物全てに彩色が施され、
天井は全面が黒漆に金箔が施されている。
須弥壇と厨子も全面黒漆塗りで、金蒔絵が濃密に施され
金具全てに異なった文様がある。
(Wikipediaより)
※破風
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※2代将軍秀忠公
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同じような造作りですが~
※見事な造作
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兎は干支ですか~
※内壁は金箔貼りで、家康霊屋には鷹が、秀忠霊屋には獅子が描かれている。
これは家康が鷹狩を好んだことにちなみ、また獅子は、秀忠の守り本尊である
文殊菩薩が乗る獅子にちなむと考えられている。
内部は障壁画などで飾り立てられ、柱や組物全てに彩色が施され、
天井は全面が黒漆に金箔が施されている。
須弥壇と厨子も全面黒漆塗りで、金蒔絵が濃密に施され
金具全てに異なった文様がある。
(Wikipediaより)
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鳳凰と唐獅子は同じ意匠?
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霊屋の規模はそれほど大きくは無いが、完成まで10年もの歳月が費やされ、
当時の装飾技法の粋を極めた近世初期の霊廟建築の代表例であり、
規模こそ小さいが、1636年(寛永13年)に造替された日光東照宮に
劣らない造形美であったといえる。
1742年(寛保2年)、1768年(明和5年)、
1868年(元治元年)、1865年(慶応元年)に小修理が行われた。
(Wikipediaより)
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写真が多くなりますが
見飽きません。
※明治になり一時荒廃し、唐門は明治末頃に解体され、
別の場所に仮安置されていたが、
1962年(昭和37年)に国の文化財保護委員会(現、文化庁)が
霊屋の解体修理をした際に元に戻された。
境内の東端には3代家光以降の歴代将軍と徳川御三家の尊牌堂(位牌堂)があったが、
1888年(明治21年)に焼失し、現在は礎石だけが残る。
(Wikipediaより)
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受難の時期があったんですね。
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工芸品の予定調和
※職人のニヤリが~
見えそう!
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江戸期の銘品
※三つ葉葵
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ケルンですか~
※日本の美意識ですね。
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家康公とは意匠が違います。
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何とか残されてほしい物です。
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裏側も~
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井戸でしょうか?
※家康公の裏側へ~
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神社の様に朱塗りでは無かったんですね。
※簡素な色付け
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でも、見事です。
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圧倒されます。
※木陰で一休み~
エエ風が吹きます。
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