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咲きかけの花寒曇りの空に
大仏線と短い都・渡来人の足跡を
木津川に探して〜(22)


梅は咲いたか桜は未だかいな〜
今年は遅めの開花宣言も〜
もう直ぐか?の、今日この頃。
花曇りで花寒〜
北風が吹き抜けていました。

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成23年04月03日  

石の蔵〜
石材屋さんでした。。
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※呼んでいました〜

鳥居に惹かれて〜

※夕日に桜

藤原百川公墓

※皇紀2600年記念行事
国民神道で取りざたされた?

732年〜779年7月9日
内容:奈良時代の公卿。藤原宇合の八男。
初名は雄田麻呂。天平宝字3年(759)従五位下に叙せられ、同7年智部少輔(ショウ)(宮内少輔)。
さらに称徳朝で内匠頭、右兵衛督、中務大輔、河内守等に任ぜられたが、
弓削道鏡を皇位に即けようとした宇佐八幡神託事件では、配流された和気清麻呂と同広虫(法均尼)を密かに援助している。
宝亀元年称徳(孝謙)天皇が崩ずると、左大臣藤原永手・内大臣藤原良継らと計略をめぐらし、
吉備真備の推す文室珍努・同大市を排して白壁王(光仁天皇)を皇嗣に擁立した。その功から光仁天皇に重用され、
同2年大宰帥、次いで参議となる。翌年皇太子他戸親王を策略により廃し、
自らの推す山部親王(桓武天皇)を新たに皇太子に立てることに成功。同5年従三位に昇り、
のち式部卿・中衛大将も務めた。没後、延暦2年(783)右大臣、弘仁14年(823)正一位太政大臣を追贈された。


※墓陵前の景色

桜の名所



小山が二個並んでいます。
遊び場になっているようですね。

※墓標でしょうか?

片隅に置かれています。



崩れかけ〜



近鉄特急〜

※大宮神社サン
横目に〜

JR片町線(旧関西鉄道)
祝園駅に着きました。

※ええ時間に成りました〜

JR京橋にて
お疲れ様〜!

※お気をつけて!
又遊んでくださいね〜!
東日本大震災で被災された方々に、お見舞い申し上げます。

浮ドン、かもさん、
ねずみ君、福ちゃん、
マー殿…は、
お休み。。
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