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水騒動、火垂るの墓と震災と(02)

御冥福を祈りつつ…

戦国時代後半から上ヶ原新田、六軒新田など
新しい緩傾斜地や六甲山からの中位段丘層に
新田開発を盛んに行ったようです。
でも、寛永18年(1641年)に起きた旱魃の際、
社家郷(しゃけごう)村(西宮神社を守る家々の意味:広田、越水、中村、西宮郷)の農民は、
「社家郷山(仁川上流域にある社家郷村の持ち山)から出る水は社家郷村のものである」
と主張して自分の村に仁川の水を引こうという大胆な発想をしました。
水利慣行は昔から大変強く、仁川の水を水系を変えて夙川に導くことは大変なことで、
工事も岩山を越えて夙川の支流・水分け谷までの水路を作らなければならない難工事でした。
それまで仁川の水を利用していた下流の農民が工事を阻止しようとするのは当然のことです。
昼、社家郷村の人々が水路工事をすると、
夜ごと仁川下流の村人が水路を埋めるという繰り返しでした。

(HP:西宮の新田開発と用水の歴史参照)

                             撮影:平成19年09月23日  

新緑が眩しい此の季節、
せせらぎの畔をポタリ〜



そうですよね〜
騒がない!

※見えてきました
先人達の苦労と技術の結晶が。。
水の歴史、命の歴史

関学の馬小屋の裏に分水堰があります。
その幅は江戸時代に決められた通り、
上から、
上ヶ原新田三尺六寸二分、門戸村五寸六分、
神呪村六寸六分で各方面に分水されています。
ほとんど田畑がなくなった現在でも
このあたりの側溝には仁川の水が流れています

社家郷用水は仁川上流の水を夙川に導くものです。

※イニシエからの
鉄の掟!!
(それで錆びてるヤ…)

水は高みから低みへ〜
なるほど、よーく考えられてますわ。。

※水の一滴は血の一滴…
立派な史跡ですよね。。

穏やかな流れと〜

※命の迸り!

野良の景色〜

※その中を、ゆっくりと。。

おっ、浮ドン足止めて…
人の歴史の足跡が此処にも
左が道標、右が丁石。。

※剣札型道標

甲山大師十三丁の丁石

※江戸期に街道が整備され〜
人の往来が盛んになった
証ですね。。

右:西宮、すぐ:尼崎、左:中山

※位置関係は、こんな感じ〜

この先は、水道用地なんですと。。

※先へ進みます。

関学の校舎〜裏側から
ピンポンさんも此処に来ましたよね。。

※お洒落で立派な門
神戸市水道局上ヶ原浄水所

橋の欄干も
もお洒落なアーチを描いて。。
今回は、浮ドンのホームグラウンド!
いつものように〜
神社巡りですが…郷土の歴史
+古墳もロマンも …
おもろいヤン!
カモサン、まだまださん、
ねずみ君福ちゃんは
お休み。。
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