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児島湾・百間川・神武天皇の足跡
岡山ポタ(02)

ひとり歩きの仕事兼ねた出張ポタ!
inisieに入れようか迷いましたが〜

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成24年11月13日
                                           UP日:平成26年04月15日

百間川の源流を目指して!

※地図が頼り!


岡山城付近を流れる旭川は、安土桃山時代に行われた築城工事の時に、蛇行するよう付け替えられ、
河道も狭くされたことから、岡山城下はその後、たびたび洪水に見舞われるようになった。
特に1654年(承応3年)に起こった大洪水は城下に甚大な被害をもたらしたことから、
当時岡山藩に出仕していた陽明学者の熊沢蕃山が、洪水対策として
「荒手」と呼ぶ越流堤と放水路を組み合わせた「川除け(かわよけ)の法」を考案。

岡山藩郡代の津田永忠はこの構想を基に、3段の荒手により水勢を弱めながら旭川の氾濫を越流・放水させる百間川を設計した。
1669年(寛文9年)に永忠の指揮で着工し、1686年(貞享3年)に完成したと伝えられている。
江戸期を通じて完成当初の姿で洪水から岡山城下を守った。
(Wikipediaより)

※此処は、まだ旭川


此処で百間川渡って

※ポンプ場も〜

堤防を上流部へ〜

※河川敷には川が見えない。。

公園状態の水辺

※小さな川
見っけ!

これですね!

※取水口も〜

もう少し上流部へ!



圃場?
黄ニラ栽培らしいです。



何でこんな所?

※先へ〜

マダマダ広い川幅(百間川)

※緑色?
普通のニラかな??

横目に〜



石垣が…

※先は旭川

発見!
この辺りが源流部
分岐路?

※石垣が当時のもの??

こんな感じ〜
さて、下流に下っていきます。

※堤防内には
グラウンドが〜

堤防の外は平地です。
決壊したら大変!

※中島方面へ〜
路地散策!
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
私一人旅!
皆様はお休み〜
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