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児島湾・旭川・岡山城をポタリ〜
岡山ポタ(07)


ひとり歩きの仕事兼ねた出張ポタ!
inisieに入れようか迷いましたが〜

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成24年11月13日
                                           UP日:平成26年04月18日

児島半島と児島湾大橋

※駅の名残?

ママカリ釣り〜

※旭川右岸には
クラレ岡山工場
西風強く〜

水上浮遊??
鰻籠でしょうか?

※ノ〜ンビリと

葭原が少し〜

※埋立地だったんですね。
思えば納得。。

トタン被せが!



船溜まりで〜
ハイポーズ!

※堤防上の道路を離れて〜

平井辺り〜

※旧道だと思うのですが〜

石碑?
南無妙法蓮華経かと???

※水路端道路
埋立地の名残

背の低い広い瓦屋根
風よけですかね?

※夕日の中…
学校の帰り時間です〜

妙廣寺さん

※この辺りが
昔の海岸線?

旧海岸線と思われる道を〜

※桜並木ですね、春に来たいと。。


桜橋の国旗掲揚台

桜橋地蔵尊

※当然、右側の道路を〜

荒神社さん
屋根修復中?

※手水鉢に移轉記念碑
昭和12年埋立があったんでしょうか?

荒神社扁額

※当時の石燈篭

摂社

※石材は小豆島産でしょうか?
鷲羽山??


一畑寺・不動明王・伏見稲荷
合祀されています。

※紅い塀が並んで〜
何でやろか??

国道250号
新京橋袂

※落ち着いた趣の国清寺さん

慶長14年(1609年)池田利隆が建立し当初は法源寺といった。
その後、元和元年(1615年)に岡山藩主池田忠継が死去すると、
後を継いで藩主となった弟の忠雄がここを兄の菩提寺とし龍峰寺と改称した。

寛永9年(1632年)池田光政が鳥取藩より岡山藩への転封に伴い、
国清寺と改称し祖父輝政と父利隆の菩提寺とした。
岡山藩の支藩である鴨方藩・生坂藩の墓所もここに営まれた。
この際に鳥取系池田氏の祖である忠継・忠雄の菩提寺は清泰院として分離し鳥取藩の管理下に置かれた。
なお、清泰院は昭和39年(1964年)国道2号の新橋(新京橋)架橋に伴い、岡山市南部に移転した。

昭和20年(1945年)6月29日の岡山空襲で本堂など主要な建造物を焼失した。
境内の東西に鴨方・生坂両藩主と家族の墓所があったが、
太平洋戦争後、東側の墓所は東山墓地に移転し、現在は西側墓所のみが存在する。
戦後20年間は焼け残った大愚堂を本堂としていたが、昭和40年(1965年)8月に本堂が再建され現在に至っている。


梵鐘:寛文5年(1665年)藤原国次によって制作された。
平成2年(1990年)岡山市の重要文化財に指定された。
藤原国次は、『剣客商売』(けんかくしょうばい)は、池波正太郎による時代小説にも登場します。
越前守国次は「第二十二回重要刀剣」に指定されるなど、優れた刀匠です。
国次は、最初、越前大掾、のちに越前守を受領しています。
国次の作には国路との合作が数口ありますが、 いずれの出羽大掾の銘も「国次の作」と言われるほどの業物だったそうです。

幸いに遇うも
又、苦しみに遇うも
心浮かぶことなく
心沈むことなし

平常心ですかね?

※萬歳山
扁額

不許葷酒入山門
ここから先は、ニンニクと酒は駄目よ!

 この空気の中で座禅…
エエですね〜

※寺紋

静かな佇まい

※可愛い路面電車に
目が行きます。

付いて行けば〜

※廣栄堂本店さん
海鼠壁が〜

又来ました!

※向こうからも〜^^v

ん?

※中納言駅なんですね。

さっさと乗り込まないと
駅が
自動車道路内ですもんね。


東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
私一人旅!
皆様はお休み〜
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