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2018年のお盆は
ポタ空白部の泉南地方に行きたいと…
堺や貝塚には行きましたが〜
関空のお膝元の地区…今ですよ今!

泉佐野市日根野(日根神社)〜 07

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜

基本6輪ポタ、雨傘片手にまださんと歩きポタと山登り〜
少しの晴れ間は相棒自転車でブロ君達と!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成30年08月16日
                                           UP日:平成31年01月17日

慈眼院さん
慈眼院(じげんいん)は大阪府泉佐野市日根野にある真言宗御室派の寺院。
山号は大悲山、寺号は願成就寺。近世末までは、隣接する日根神社の神宮寺であった。
国宝の多宝塔は石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとして知られる。
また境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。
仏塔古寺十八尊第十二番。
伝承によれば、天武天皇2年(673年)、天皇の勅願寺として、
井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪阿闍梨により開創され、
奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増されたという。
その後、弘仁6年(815年)、 空海(弘法大師)によって多宝塔、
金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。
南北朝の正平8年(1353年)、戦火を受けて焼失。
その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興された。
慈眼院の位置する日根荘(ひねのしよう、日根野荘)は、五摂家の1つである九条家の荘園であった。
文亀元年(1501年)から4年間、前関白の九条政基が日根に滞在して領地の直接経営にあたり、
日記「政基公旅引付」(宮内庁書陵部蔵)を残している。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火を受けて、金堂、多宝塔を除いた全山が焼失。
その後慶長7年(1602年)、豊臣秀頼によって伽藍の再興が始められ、
奥之坊、山之坊、明王院、戒躰院、稲之坊、中之坊、下之坊、東方寺、上之坊、
明神社、観音堂、毘沙門堂、護摩堂の堂宇が建立された。
寛文年間には岸和田藩藩主岡部氏により修復が行われ、寛文5年(1665年)、
中之坊が仁和寺の性承門跡から現在の院号「慈眼院」を賜り、
仁和寺の末寺となった。
(Wikipediaより)


※鐘楼

 


和泉國五之宮 日根神社
日根神社(ひねじんじゃ)は、大阪府泉佐野市日根野にある神社。
和泉国日根郡の式内社で、和泉五社の一つ(和泉国五宮)。
御旅所が同市長滝の熊野街道(紀州街道、和歌山貝塚線)沿いにある。
創建の時期は明らかではない。
霊亀2年(716年)に制定された和泉五社のうちに数えられており、
延喜式内社日根郡十座のうちに列せられていることから、
1200年以上前であると考えられる。
聖武天皇の御代、天平十四年の大旱魃の際には五百石を賜っている。
(Wikipediaより)




手水舎



日根荘は鎌倉時代から戦国時代にかけて、
現在の泉佐野市域にあった九条家領(くじょうけりょう)の
荘園(しょうえん)です。有力貴族の五摂家(ごせっけ)の
一つである九条家により、天福2(1234)年に日根荘が立荘され、
宮内庁所蔵の『九条家文書(くじょうけもんじょ)』を
中心に当時の様子がわかる「日根野村絵図(ひねのむらえず)」や
九条政基(くじょうまさもと)が
入山田村長福寺(いりやまだむらちょうふくじ)滞在時に記した
『政基公旅引付(まさもとこうたびひきつけ)』などの文書が
たくさん残されていることから、当時のことを解明する手がかりがたくさんあり、
また絵図で描かれた寺社堂などの建築物やため池、
丘陵などの景観が現在でもよく残されていることで、
全国的にも有名な中世の荘園遺跡となっています。
(泉佐野市HPより)







昭和期の青銅製狛犬


※吽

拝殿舎正面



神宮寺の名残でしょうか?
慈眼院さんの、お庭が見られます。

食野家(めしのけ)十三重石塔 ?
江戸時代は見えない…

多宝塔(国宝) ? 鎌倉時代、文永8年(1271年)建立。高さ約10m。
屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。
石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる。
初層内部には大日如来坐像(大阪府指定文化財)を安置する。
(Wikipediaより)


金堂(重要文化財) ? 鎌倉時代後期、方3間、単層、寄棟造、本瓦葺。
別名毘沙門堂または一願薬師堂。「?経(笹塔婆)」が保管されている。

(Wikipediaより)

※桧皮葺の日根野神社本殿舎

日根神社本殿(桃山時代、入母屋造)
現在の本殿は、社伝によれば天正年間(1573年-1593年)に
兵火によって焼失したものを、豊臣秀頼が再建したものと言われている。
明治6年(1873年)には郷社定則により郷社に指定され、
大正13年(1924年)には府社に昇格した。
この本殿は昭和47年(1972年)3月31日に府指定有形文化財(建第20号)に指定されている。
(Wikipediaより)

※境内摂社

狛犬

※吽

アニメチックな阿

この屋根の分厚さ
うっとりします〜

※木彫の細かさ
だんじり想いながら〜

禊場?
向こうに多宝塔

※日根野土地碑

堂々とした本殿舎

※説明文




大井関自然公園
日根野の日根神社に隣接し、泉佐野市内を東西に流れる樫井川中流の
ろじ渓谷を挟んで広がる自然美豊かな公園。
春には約600本のソメイヨシノが咲き、
泉佐野市随一のサクラの名所として人気が高い。
(大阪観光情報公式サイトより)




用水路



水場

※見返って〜

神仏習合の名残か?
築地が…



大きな拝殿舎

※玉垣や看板に
奉納者銘が〜

菊の御紋

※見返れば〜

百度石

※社務所

見返りながら〜

※多くの境内摂社が〜

岡前神社サン



恵毘須宮サン

比売神社サン

重要文化財
比売神社本殿



杯状穴のない手水鉢

※参道鳥居

太鼓橋はない…

※付近路地

農家の面持ち

※染工所
水が豊富だったんでしょうね。

煙突に目が行きます。

大きな御家の前に〜

珪化木?
木化石とも呼ばれるように、古代に何らかの原因で土砂等に埋もれた樹木が、
膨大な年月をかけ地層からかかる圧力により木の細胞組織の中にケイ素と酸素、
水素との化合物であるケイ酸を含有した地下水が入り込むことによって、
樹木が原型を変えずに二酸化ケイ素(シリカ)という物質に変化することで、
石英や水晶などと同様に固くなり、化石化したものである。
保存状態が良いものは年輪や木の形まで保存される。
石炭とほぼ同所的に出土することもあるが、珪化木はケイ素分を多く含んでいてかなり硬く、
石炭採掘の際には厄介な障害ともなる。一部が石炭、
または石炭に近い状態になっているものもあり、いわば「石炭になり損なった木」ともいえる。
アフリカ、アルゼンチン、ブラジルなどで多く産出され、観賞用に高値で取引されている。
ブレスレットや数珠などにも加工され、製品化されることが多い。
日本でも各地で産出されるが、特に兵庫県東条町(現・加東市)黒谷地区西側などの
神戸層群の一帯からはブナ科、メタセコイア属などの珪化木が多く産出されたが、
乱獲もあり近年は採取されることが減少している。
岩手県一戸町にある根反(ねそり)の大珪化木は国の特別天然記念物に指定されるなど、
各地に国や自治体の天然記念物に指定されているものがある。
(Wikipediaより)

平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害
灼熱の夏も過ぎ年末に春のポタ(UP遅!)
連続的な台風20〜25号被害に胸が痛みます。
平成の次の元号は??

えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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