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令和五年、2023年!ウクライナでのロシア軍との戦は長期化…
新型コロナは二類から五類へ~と言うことはインフルエンザと同じ…
自転車乗らずに気に成る和泉山地辺りをブラリ~

泉佐野市大木(火走神社)~05

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
6輪ポタ?~いや膝栗毛
浮ドンとまだサンと歩きポタ!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和五年05月03日
                                           UP日:令和五年06月20日

火走神社(ひばしりじんじゃ)は、大阪府泉佐野市にある神社。
式内社で、旧社格は郷社。
日本遺産『旅引付と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘の風景-』の
構成文化財の一つでもある。

主祭神 - 軻遇突智神(かぐつちのかみ) - 火の神。

※扁額

正面狛犬


※吽

百度石

※地元の方々にも愛されています。

拝殿舎前の鉄髭龍

※裏側も彫られています。

反対側も~

※顔の優しさ厳しさは
彫師の差でしょうか?
どちらも力作ですがね!

拝殿(割拝殿) - この拝殿が境内の入口となっている。
修験道に関わりのある寺社によく建てられていた建物・「長床」も兼ねているようである。
(Wikipediaより)

※拝殿舎

拝殿舎内部



由来記


彩色された幸社

創建年は不詳であるが、推古天皇2年(594年)2月には祭礼が行われているので、それ以前の創建であろう。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、「日根郡 火走神社」と記載されている。
当社の南東の犬鳴山にある七宝瀧寺とは深い関りがあり、
当社の神宮寺である上宝院瀧本坊瀧音寺はその影響下にあった。
当社の社名である「火走」とは、江戸時代の『和泉名所図会』にあるように
かつて男巫が火渡り神事として火の上を走ったことが由来であるとされているが、
火渡り神事は修験道でも行われているので七宝瀧寺との深い関係を想起させる。
また、社伝では後村上天皇により「火走」の社号が与えられたとされているが、
それ以前からこの社名であった。瀧宮、瀧大明神とも呼ばれていた。
(Wikipediaより)



天正13年(1585年)に行われた羽柴秀吉による紀州征伐の兵火に掛かって焼失するが、
元和8年(1622年)8月16日に本殿が再建されている。
享保11年(1726年)8月5日、正一位の神階に叙せられている。
明治時代になると廃仏毀釈により神宮寺である上宝院瀧本坊瀧音寺は廃寺とされ、
仏像や仏具は七宝瀧寺に移された。
1872年(明治5年)に村社に列し、1907年(明治40年)1月には饌幣帛料供進社に指定されている。
1912年(大正元年)12月6日、郷社に昇格した。
(Wikipediaより)



幸神社(重要文化財) - 御祭神:大己貴命、少彦名命、事代主大神、市杵嶋姫命、
    誉田別尊、奥津日子神、奥津比売命。摂社。室町時代の建立。一間社春日造。
春日神社 - 祭神:武甕槌神、経津主神、天児屋根命、比売神、大山祇神。宝暦2年(1750年)の建立。
八坂神社 - 祭神:素盞鳴尊
大年神社 - 祭神:大年神
丹生神社 - 祭神:稚日女尊
(Wikipediaより)

※手水舎

脇からお邪魔して~

※本殿舎前~

神宮寺が在ったんですね。

※割拝殿舎の中には
三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)は、藤原公任の『三十六人撰』(さんじゅうろくにんせん)に
載っている平安時代の和歌の名人36人の総称である。
36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集である。

これに影響されて、中古三十六歌仙や女房三十六歌仙などが後世にできた。
なお連句の形式で三十六句のものを「歌仙」と呼ぶのは、これにちなんだものである。
(Wikipediaより)





ずらりと~



千社札


 
弘化銘の狛犬台座

※狛犬尻尾

神社から見返れば~
日根荘(ひねのしょう)は、鎌倉時代の天福2年/文暦元年(1234年)に
和泉国日根郡に立荘された九条家の家領荘園。
同地の歴史的景観を構成するものの中から、14か所が1998年(平成10年)に
「日根荘遺跡」として国の史跡に指定され、2005年(平成17年)に長福寺跡が、
2013年(平成25年)に土丸・雨山城が追加指定された。
日根荘の奥に位置し、往時の景観を残す大木地区は、犬鳴山七宝瀧寺の境内を含め、
「日根荘大木の農村景観」の名称で文化財保護法に基づき重要文化的景観として選定されている。
(Wikipediaより)

樫井川沿いに
上中下と大木(おぎ)集落が広がります~

※集落に降りる道

泉佐野打田線沿いに~



気に成る石碑
毘沙門天

用水も~




※石碑

火走神社の神宮寺の名残でしょうか?

※地蔵尊

毘沙門堂
内部は見えなかった…

※菊水紋
南北朝の名残でしょうか?

僧侶の墓石?

※絵に成りそうな景色ですよ…
Kサン~涙



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