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作年は、あまりポタに行けなかったなぁ〜
大和川左岸沿いの地区
古墳と式内社と地蔵様(14)
藤井寺市 小山

他の地区と比べて呆れるくらいの数が在ります。
エエ天気のGWポタは、前に伺った所の穴埋め的場所
浮ドンと!カモさんと!!まだまだサンと!!!
久々のフルタイム〜♪

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年05月03日 

お米屋さん

※手摺が気に成ります。

ん?
日本最初 善光寺如来
長野や無いの??

※小山善光寺
天正年間まで城山古墳の後円部外側に接する小字名善光寺屋敷址といわれる位置にあったが、
天正年間織田信長の河内小山城攻めの折、小山城と共に戦火をうける。
堂舎焼失後、西誉宗珍によって慶長年間(江戸時代初期)になって現在地に移転再建される。
小山善光寺は南面山無量壽院善光寺と称し、本田善光の伝説を持っている。
その内容としては、推古天皇の御代若使主東人(オカオミアズマビト)
本田善光が信州に帰国する途中、難波の堀江で一光三尊仏を拾って
これを背負って小山の里の隆聖法師の庵に宿泊した。
法師はその仏像をまつらせてほしいと善光に所望したが
一体しかないので二人で三日三晩にわたり念仏したところ第三日目に
一光三尊仏が二体になったので隆聖法師はその一体を入手して本尊とし
河内小山に一寺を建立した。本田善光は他の一体を背負って信濃に帰り信濃の善光寺の本尊とした。
日本で最初に建立されたので日本最初の善光寺と称するようになった。
(Wikipediaより)


歴史の積み重ねられた
街道を〜

何とか残してくださいね。

※五月道
一期一会を意識して行き交う





常夜燈石燈篭
監視カメラも異様ですが〜
バラバラと自転車降りて
見入っている親爺たちも異様??

※鏡遊び

ねっ!



電気の引き込み

※向かいの御家も
エエ感じ

地蔵堂が呼んでいます。



観音様のような〜
脚は見えませんが
組まれているようで〜

煙抜きも好きですねん。

※好きです!
玄関

長因寺さんの屋根も見えます。



産土神社さん

※石工の名も気に成って。。

お邪魔します。

「眉ばかり出して 昼寝のうちハかな」と、1801年発行の「河内名所図会」で紹介された小山うちわ。
藤井寺市小山というところで作られていました。
「柄は丸竹にて、骨細く、美濃紙をもって張る。」とあります。
そのうちわをたたせて、卓上をトントンとたたくと、倒れずに歩くとされ、秀吉も愛用したそうです。
戦国時代、武田信玄の家臣山本勘助は、河内国の動向をさぐるため間諜としてこの地に住みました。
かくれみののなりわいとして、うちわを作っていましたが、
それから2年後、役目を終えた勘助は、姿を消してしまいます。
しかし、その後も村人は、この製法を守り、引き継ぎ、徳川家へ奉納するまでに発展させたということです。


手水鉢に
お百度石
(四隅は、盃状穴ではないかな?)

※拝殿社
お寺のような〜

 狛犬


※吽

石工の名も〜



本殿
右大臣左大臣

※拝殿社内の奉納絵馬

百人一首絵馬

※羽根車
240
藤井寺
第一区
何でしょうか?

河内国
志紀郡
小山村銘の羽釜
神宮寺で使われていたの?

※廃仏毀釈の影響で
スサノオ神社に改められた。

本殿社

※描かれているのは?

神路石甃
(敷石ですか〜)

※狛犬



※吽

神輿台



この石材は?

※隣のお寺の墓地

お隣の寺の屋根。

※真新しい稲荷社

この穴は?

※神宮寺だった
清圓寺さん

寺境内の鬼瓦

※自転車屋さんの窓に〜

右 大峰山
道標です。

氏子募集も〜

東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
福ちゃん、ねずみ君はお休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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