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旧大和川の名残の地区
故UFO先生の足跡も見えますか?
東大阪市近江堂向けて〜
高井田元町〜中小阪U(14)

江戸時代は、「小坂」を「オサカ」と読み、上小坂、中小坂、下小坂それぞれ独立した村であった。
明治22年宝持村を加えて新しく小阪村となった。
小阪の「阪」は大阪と同様、「坂」(土に反る)を嫌い、明治の市町村合併以降「小阪」を使うようになった。
しかし、小坂神社は今も小坂だ。
農耕・五穀豊穣、水の守り神でもあって「土」を使っている。
「コサカ」と読むようになったのは大軌鉄道が通るようになってから
駅名に「こさか」と記するようになってという説もあるが
明治22年以後「こさか」と呼ぶようになったので考える。
そもそも「小坂」の由来は不詳だが、西の難波の「大坂」に対して東の「小坂」とし、
呼び名を「オサカ」としたのではと考える。
(東大阪の地名といわれHPより)

高嶋先生から尋ねられましてんと…
昔の資料から、近在の集落と力競べしましてんと〜

カモさん、ナオちゃん(怪親爺デビュー)も〜
狛犬の尻尾を愛でる!
まだまだサンと!!!

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年05月26日 

角石



消火栓案内看板
阿部定のように〜



路地も〜

※彌榮神社

彌榮神社正面

※周りは
土蔵のある景色

旧大和川支流の東岸近くに位置し…
石山合戦や大阪夏の陣など
歴史と関わりのある地域。。
此処から大阪城が見えたんですね。
川との戦いも…

※紅葉も有名

手水鉢

お百度石

※地車庫

拝殿社

※社務所の木彫
ヤマタノオロチ

天孫降臨?

※三韓征伐?
地車にも飾られているんでしょうか?

彌榮の紅葉
と本殿社

※狛犬は
綱付

尻尾と石工見てます。
 


※吽

井戸

※昭和33年銘の鳥居

大正期
玉垣建設記念

※玉垣
中小阪
柳谷観音講同行中

北側には堤があったとか〜

※若葉の緑色路地

裏には〜

※別の神社が…

小坂神社
彌榮神社の北側背中合わせのように〜

※下小阪の原野を開拓した居住者が
水利至難の為
大和の国吉野の水分神社と振袖山の
神を勧請したのが始まりと書かれています。

堂々とした
拝殿社正面

※大きな銀杏の木が〜

周りの住宅地を見たら
往時の先人たちの
苦労が偲ばれますが〜



小阪の旧村を〜



役行者堂



立江地蔵尊
入江に立たれていたんでしょうか?

※小坂神社参道入口
歓喜温泉煙突と
気になる御家

気になる御家

※宝持西から拡幅された道路が来てますが〜

丸ポスト見っけ!
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
浮ドン、ねずみ君、福ちゃん、まー殿
お休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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