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2018年のGWは
私の好きな大和盆地へも行きたいと…
何度目でしょうか?
いつもの国道横目に…今ですよ今!

奈良県大和郡山市筒井(八幡宮・菅田比賣神社) 09

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭しうるはし
日本武尊(古事記では倭健命)

5/3は雨でした〜
相棒自転車はブロ君達!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成30年05月06日
                                           UP日:平成30年12月31日

正面から〜

※扁額
 
八幡宮サンの境内

※拝殿舎前
 
手水舎〜

※見事な杯状穴

何処に水が溜まるのか?

※本当に手水鉢か??

天保期の石燈籠

※場所お借りして〜

作業場兼ねた拝殿舎
前に狛犬

※地蔵様

狛犬


※吽

 尻尾

※山車ですかね?

本殿舎
社殿内狛犬も〜

※流作り〜
 
脇の地蔵様達



境内脇に
御堂



内部には胎蔵界大日如来坐像?
神宮寺の名残でしょうか?
大日如来の「大日」は
「大いなる日輪」という意味で
太陽よりもはるかに上回る光で
全てを照らすことを意味しています。

光背も…悲しいなぁ〜

読めない…
市役所さん
箱物も良いですが文化財にも
予算を付けてくださいませ。。

※東垣内公民館

境内脇から〜

※次へ〜

専念寺さん



柿も新緑で〜

※立派な長屋門

地蔵堂

※内部
地蔵様

菅田比賣神社サン

※境内風景

式内社なんですね。

※森に囲まれた
作業場付の拝殿舎

手水鉢

※杯状穴が有りますね。

水との関係も?
でも、石段にも有ったことも〜

※神武天皇陵遥拝所
橿原神宮方面

稲荷社

※拝殿舎

狛犬


※吽

法隆寺水町
判らない…



 慶応期のもの
大阪 石忠

※尻尾

本殿舎
社殿内狛犬も

※境内摂社
八幡宮

本殿舎

※摂社も〜

絵馬は見られない



夏なら蝉しぐれ〜
今は無いですが…

※頭の中を整理中〜

奉納

※この辺りも筒井城跡とか〜

境内見返って〜



長屋門

※筒井城跡

筒井氏は大神神社の神官・大神氏の一族と言われている。
筒井氏は大和国添下郡筒井の土豪として大和に勢力を持っていた。
鎌倉時代以降、大和守護は興福寺が務めており、
筒井氏もその衆徒として組み込まれるが、室町時代に大和永享の乱が発生、
戦国時代に入ると興福寺の勢力が衰退し、
大和四家と言われる筒井氏・越智氏・十市氏・箸尾氏の勢力が台頭してくる。
応仁元年(1467年)の応仁の乱では、河内の守護大名である畠山氏の抗争に巻き込まれて、
大和国内は混乱する。
筒井順永は畠山政長に協力して畠山義就派の越智家栄らと戦ったが、
息子の順尊は義就に敗れ没落した。

※そのような中で筒井氏の当主となった筒井順興は英明で、
大和国人衆の一人として興福寺に属しながら宿敵・越智氏を討ち滅ぼして勢力を拡大し、
筒井氏を大和の戦国大名としてのし上げた。天文4年(1535年)に順興は死去し、
嫡男の筒井順昭が後を継いだ。
順昭も英明で、信貴山城を本拠とする木沢長政と連携して越智氏を圧迫。
長政が没落すると、その勢力を大和より駆逐し、遂には大和を統一。
さらに、袂を分かちあっていた義理の兄十市遠忠と和し、
河内にもその勢力を伸ばし筒井氏の全盛期を築き上げた。
しかし、順昭は天文19年(1550年)に28歳の若さで死去し、嫡男で僅か2歳の筒井順慶が後を継ぐこととなる。
木阿弥の話はこの世代交代を舞台にしている。
(Wikipediaより)


順慶は天正7年(1579年)に筒井城を大改修しようと多聞山城の石垣を筒井城に移したが、
信長の「大和一国破城命令」により廃城とし、居城を郡山城に移した。
翌天正8年(1580年)8月17日の事であった。
(Wikipediaより)




少し高台に成ってます。



発掘調査が行われたとか〜



当て曲げが〜



光専寺さん
見通しは効かない〜

※重厚な長屋門

のーんびりと〜

※ありゃ〜

地蔵堂

※千手観音様


※ジャーマンアイリスの満開時期

隣りの地蔵堂



見返って〜

※下街道
奈良盆地を南北に貫いている街道のうち、上街道は古代道路である上ツ道を、
中街道は中ツ道ではなく下ツ道の道筋を辿っているが、
下街道はさらに西側を通っており、
まっすぐに計画的に設置された古代官道を起源とするものではない。
城下町や環濠集落を縫うように曲がりくねって通っており、
地図なしで辿るのは難しい。
ただし、いわゆる裏街道ではなく、郡山と大和国南西部・紀伊国北部を最短で結ぶ道筋として重要であった。
現在も一部区間が国道24号線になっており、重要性に変わりはない。
郡山(大和郡山市中心部)を起点に、筒井のあたりで西へ方向を変え、
額田部唐院(磯城郡川西町)、小柳(磯城郡三宅町)、箸尾(北葛城郡広陵町)、
南郷高田(大和高田市)へと南下し、忍海(葛城市)、御所(御所市)を通って風の森峠を越え、
中街道、伊勢街道と合流し五條へと至る。
大まかには、大和郡山から大和高田にかけては大和盆地内の環濠集落間を縫うように通るため、
特定の国道・県道沿いを通っているわけではないが、概ね奈良県道108号大和郡山広陵線に沿っている。
大和高田以南は概ね国道24号沿いを通るか国道そのものが旧街道に相当する。
(Wikipediaより)


下街道を〜



街道風景

※屋門内は〜別世界。。

茅葺屋根がトタン被せ

※袖壁も〜

今度、下街道
行きましょうか〜

※いつものR25
渡って〜

いつもの国道です。

※溜池に張り出した
住宅地

歩道に〜

※筒井村道路元標

南へ〜



煙抜き家屋も〜
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害
灼熱の夏も過ぎ年末に春のポタ(UP遅!)
連続的な台風20〜25号被害に胸が痛みます。

えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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