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平成最後、2019年の新年は〜
我が会では、水間鉄道熊取・泉佐野は前に〜
曇り空の一日〜僧行基さんの足跡と台風被害…
菅原神社(天満宮)の多い地区〜
今ですよ今!
多くの溜池、杯状穴の意味は…へぇ〜!?
和泉市葛の葉(信太稲荷神社)  15

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜

やはり浮ドンとは雨は降らない〜トリオ(trio)ポタ。。
相棒自転車はブロ君3台!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成31年01月06日
                                           UP日:令和元年05月20日

JR渡る地下道〜



JR沿いを北へ〜

※小料理屋さん
多し〜

信太山の上に
信鶴山台の住宅群が見えます。

※先へ〜

ラスト1社目指して〜



此の近くも
ゆっくり巡りたい〜



赤い幟と
枝を広げた楠が目印で〜

※信太森神社正面
開運招福初詣〜
 
狛犬では無く
眷属狐



石工銘も〜
石音

お邪魔して〜

※境内案内板
沢山の神様が祀られています。
前には

信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)は、
大阪府和泉市葛の葉町に鎮座する神社。
正式名称(登記上の宗教法人名称)は信太森神社(しのだのもりじんじゃ)であり、
葛葉稲荷神社(くずのはいなりじんじゃ)などは通称である。
日本七社(日本七稲荷)や関西三大稲荷の一つに数えられることがある。
信太森は、奈良時代の和銅元年旧二月初午の日に元明天皇が楠の神木の化身である
白龍に対して祭事を行ったことを縁起としており、信太森神社はその神木を
御神体とした神社として建立された。
平安時代の中頃、冤罪で罷免された安倍保名(あべのやすな)が家名復興を祈願した帰り、
猟師に追われた白狐をかくまった。
そのため負傷したことが縁で白狐の化身である葛の葉(くずのは)と結ばれ、
童子丸(後の安倍晴明)を授かる。
葛の葉は我が子に正体を悟られ、悲しい別れとなったが、晴明は天皇の病気を治して出世し、
保名の無実の罪を晴らして見事家の再興を果たした。この御利益により、
信太森神社は葛葉稲荷神社として知られることになった。
(Wikipediaより)




手水鉢

和泉式部歌碑
秋風はすごく吹くとも葛の葉のうらみ顔には見えじとぞ思ふ

※千度石

大和郡山市筒井から
50年参拝紀念碑
神道一路の記碑

※松尾芭蕉句碑
葛野葉のおもて見せけり今朝の霜

扁額

※色んな祠が〜

右やま道
道標も〜
山は墳丘?

拝殿舎前

※鳥居も多いので〜扁額

玉咥え

※巻物咥え

拝殿舎

※扁額

葛の葉紋

※多くの祠

石碑も〜
髭題目

※白龍大神

なんで
横断歩道が?



杯状穴でしょうか?
鳳町うきよ銘

※白菊大神

石垣も立派に〜

※雑然と〜




夫婦楠
本殿左手にそびえる樹齢2000年といわれている楠の大木
(2003年(平成15年)和泉市指定天然記念物に指定)。
花山天皇が熊野行幸の際「千枝の楠(ちえのくす)」の称を賜る。
また、清少納言の草紙に「森は信太森」と記して以来、
和歌の題となっている有名な楠である。
根本から二つに分かれていることから『夫婦楠』と呼ばれており、
夫婦円満・良縁成就などのご利益があるとされている。
葛の葉はこの神木から現れたと伝えられている。
(Wikipediaより)




保名に助けられた白狐が、葛の葉に身を変えた際に、
鏡に代えて姿を写して確認した井戸。
葛の葉が無事にこちらの森に帰りついたことから、
旅に発つ前にこの井戸に姿を写しておけば
無事に帰って姿を写すことができると言われている。




映してみたら〜



杯状穴ですかね?
子安石






境内から
浮世見て〜

※時間が遅くて
くずもちも、まじないも無です。

恋しくば訪ね来てみよ
和泉なる信太の森の
うらみ葛の葉


※参道鳥居〜

北信太駅前通り商店街



真珠工業所
和泉のガラス工芸は、泉州玉といわれるガラス玉の発展によって
始まったといわれており、その当時は数珠玉がたくさんつくられていました。
泉州のガラス玉は、大和王朝時代のものも発見されており、
その昔は身分や権力を表したといわれています。
近代のガラス玉製造は大阪の堺地方で発達。
そこでガラス玉製造の技術を修得した職人が和泉の地にその技術を持ち帰り、
和泉市を中心とした地域でガラス玉が造られるようになりました。
明治初めごろには、当時の和泉国泉北郡池上村、現在の和泉市の北部を中心に神仏用の念珠、
すだれ、かんざしを製造、現在もその技術は受け継がれています。
和泉の伝統工芸であるガラス細工も、明治初めごろから発展。
棒ガラスのガラス生地をつくり始め、大正時代にはガラス生地製造が盛んに行われました。
昭和に入ると、プラスチック製品の影響によりガラス生地の生産量は減少、
ガラス工場の数も減り、細工物ができる高い技術をもつ職人が残りました。
手で加工することによって細かいパーツをつくり、つなぎあわせる方法で次々と
芸術的な作品を生み出してきました。ガラス工芸は、
和泉の伝統工芸として今もなお、受け継がれています。
(日本人造真珠硝子細貨工業組合HPより)


※駅到着〜

地下道通って向こう側からの乗車〜

※ 踏切渡って
戻ります…

無事終了〜

※又来ますわ!
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は8年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
阪神大震災も24年…今年こそエエ年に!
北大阪大震災・豪雨被害
台風被害の秋ポタを春にUP(遅!)
連続的な台風20〜25号被害に胸が痛みます。
平成の次の元号は令和とか…

いつもの3人連れ!
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