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令和元年、2019年の〆…年末は~
生駒山の西麓を~東高野街道の成立するまで、
以前に自然発生的に成立した山根街道。

冬晴れの里山と渡来人の足跡と!
今ですよ今!
前の~続きで近くは
枚方市長尾元町(菅原神社)~ 06

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…プー太!
まだサンはブロ君でリベンジのタンデムポタ!!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年12月29日
                                           UP日:令和二年02月25日


大阪府道17号枚方高槻線

※タンクは長尾宮前配水池

正俊寺さん
初代久貝正俊の菩提を弔うために建立され、
久貝氏の菩提寺として久貝家墓所がある。


府道沿いに
参道が~

※菅原神社碑

元和元年(1615)年大阪落城の後、徳川家康の命により、その旗本の久貝幡守正俊公が河州交野郡領有。
その頃長尾の丘陵地は荒野で河内、山城の国境で交通の要所であり、
古来から戦略上の要地であったため、ここに陣屋を営まんとした。
陣屋を建てるには村おこしが必要と久貝氏の家来細谷善兵衛氏は
戸数十三戸の村民や近隣村民を集め、長尾の荒野山林を開拓し新田や畑を造った。
開墾地は良い土壌で穀物の増収があり、この丘陵は「福をもたらす岡」とのことから「福岡村」と名付けた。
慶安3(1650)年には戸数33戸に増加、正俊の子・正世が長岡天神の分霊を勧請し、菅原天満宮を創建。
その後年には陣屋も建ち、開墾地、戸数は増加の一途をたどる。
やがて摂社として「峠天満宮」や「高野道天満宮」また、「水神宮」「高倉稲荷大神」「皇大神宮」が順次ご造営された。
「福岡村」は、貞享3年(1686)「長尾村」と改称され、幾多の合併を繰り返し、
昭和30年に枚方市と合併し現在に至っている。
(LocalWikiより)


※テンダイウヤクとは
中国の中南部を原産とする低木。
独特の芳香を放つ根が胃薬になるとして、薬木として享保年間(江戸時代)に
日本へ渡来したものが野生化し、本州や九州の暖地に分布する。
秦の始皇帝が探し求めていた不老長寿薬の最有力候補とされた。
胃薬になるのは根の肥大した部分で、その形状をカラスに見立てて
「烏薬」と呼ばれるようになった(諸説あり)。
また、中国の天台山のものが生薬として最良とされたことから、
後に「天台」を冠してテンダイウヤクと呼ばれるようになった。
やや大きめの葉には光沢があり、クスノキ科に特有である
3本の葉脈が美しいことから、薬木のみならず観賞用にも植えられるようになった。
ほどよく剪定されたものは樹形に趣があり、通好みとされる。
(庭木図鑑 植木ペディアより)


一の鳥居
エエ天気でした~

※扁額

是より南
牛馬日附???
何やろか?

※参道

二の鳥居



見返って~



手水鉢

※奉納馬

やはり
高岡市
前には



三の鳥居

※扁額

記念樹碑

※拝殿舎正面

撫で牛



狛犬


※吽

拝殿舎
扁額



伊勢神宮遥拝所
他所とは違って
建物ですね。



稲荷社

※手水鉢

水神宮

※扁額

檜皮葺

※菅原神社碑裏側

長尾口

※先へ~

土蔵も見え隠れ~

※奥の屋門
kさん絵になりますよね。

郵便局も~

※長屋門も…

元病院でしょうか?

※妻入り家屋

築地も~

※茅葺の大和棟

大事にしてくださいね。



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