topページへ戻る コンテンツ メニューへ戻る 親爺紹介 リンクへ 一言BBSへ

梅満開!天満宮の多い地区。
枝切街道と旧村を一人でブラリ〜

高柳(長栄寺) 05

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
イニシエの初めのページ01風景も見られました。
今思えば、このページの原点ですね。

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年02月21日
                                        (一部撮影:平成26年05月30日)
                                           UP日:平成28年02月25日
                                           

長栄寺さん
長栄寺付近からは古瓦や蔵骨器が出土しており、高柳廃寺跡と推測されています。
この高柳廃寺を茨田寺とする考えがあり、
この説に従うと、付近に茨田郡の郡衙が所在する可能性があります。
(寝屋川市HPより)




参道の太鼓橋

※(このページ以下:平成26年分)
ツツジ咲いてますもんね〜

(平成26年分)
この道路も
江戸期に近い明治期地図に載ってます。

※下は田舟も通れそうな水路です。

(平成26年分)
参道から〜
鳥居?神仏習合の名残

(平成26年分)
大東亜戦争英霊碑

※古代寺院
高柳廃寺跡

(平成26年分)
茨田親王(聖徳太子の弟)塚
蔵骨器は、火葬した骨を納めるための容器です。
昭和14年(1939)に長栄寺町の長栄寺本堂の真北の水田を発掘した際に、
他の石造物と一緒に出土しました。
蔵骨器は凝灰岩(ぎょうかいがん)という比較的柔らかい石で作られており、
中央部に一辺30cメートル・深さ7.5cメートル(現寸)の
方形の孔(あな)が開けられています。
現在、長栄寺の本堂の縁の下に保管されていますが、
出土後しばらくは雨ざらしの状態であったため表面は傷んでいます。
このため、現状から蔵骨器の身の部分になるのか、蓋(ふた)になるのかはわかりません。
出土場所付近は、寺伝によると以前に(明治期?)「茨田親王塚(まんだしんのうづか)」と
よばれる塚(現在は長栄寺の東北隅に所在)があった場所とされています。
また、1864年(文久4年)の古図には茨田親王塚が寺の西北隅に描かれており、
塚の位置はこの間に2回移動していることになります。
蔵骨器は文久4年〜明治期(?)に古図の位置(西北隅)から移動した場所(寺の真北)より
出土したことになります。
(寝屋川市HPより)


(平成26年分)
境内にも鳥居があります。

※本坊

(平成26年分)
石像も〜

※山門から
真っ直ぐに〜


(平成26年分)
仏舎利
陀羅尼銘

※真中の文字
・・塔
読めない〜

(平成26年分)
ほてい湯さん
営業時間
午後3:00〜12:00
定休日火曜日
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
ページトップに戻る

01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23

怪しい親爺のポタメニューに戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.