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梅満開!天満宮の多い地区。
水路と二段蔵と大きな木!
枝切街道と旧村を一人でブラリ〜

北村(旧中西家住宅) 10

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
イニシエの初めのページ01風景も見られました。
今思えば、このページの原点ですね。

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年02月21日
                                           UP日:平成28年02月25日
                                           

守口市の現代道標
大久保庄の道

街道燈籠(永代燈)
九村惣講中銘

※

残してや〜

※大きな農家
此処は昔から地図に載ってます。

野辺道を〜
ガタガタと…

※門

梅満開!

※

この道を来ました。

※金田小学校

此処も昔からの道

※大久保調整池
やはり悪水が出るんでしょうね。

石畳の向に〜

本瓦屋根が少し歪に…

※腰が高い家屋ですね。

中西家住宅(もりぐち歴史館)
創建は弘治元年(1555年)、現在の主屋は寛政5年(1793年)、大門は安永5年(1776年)に建立されたもので、
府下に残る建物としては比較的新しいものですが、創建以来今日までほとんど変わりのない規模を保っています。
主屋は、入母屋造り棧本瓦葺きで、大門(長屋門)は入母屋造り本瓦葺き。
周囲には濠を巡らし一部には土手が築かれた、中世の土豪屋敷がしのばれる在郷の武家屋敷で、
平成10年(1998年)2月、 市指定有形文化財(建造物第1号)に指定されました。
中西家は、近世初期に尾張徳川家と姻戚関係を持ったことなどから
代々尾張藩天満蔵屋敷の留守居役を勤めた河内きっての名家であり、
「河内名所図会」にも記されています。
(守口市役所HPより)


※

この地に居を構えたのは、16世紀中頃とされ、棟札には、弘治元年(1555年)に主屋が創建され、
元和2年(1616年)に再建、現在の建物は寛政5年(1793年)の再々建で、
長屋門(大門)は安永5年(1776年)に再建されたと記されています。
東に面して長屋門(大門)が開き、角屋建ての式台付きの玄関を設けた主屋が南に面して建ち、
別建ての書院座敷と部屋部が主屋につながって建っています。
平成13年に家相図等に基づき茶室、待合付き中門、カマヤなどを復元しましたが、
かつては周囲に濠をめぐらし、現在公園になっている北側部分も屋敷地であり、
土蔵が並んでいました。(守口市役所HPより)


※

東海道57次
京都ー伏見ー淀ー枚方ー守口

守口文化財
遺跡分布図
買いに行かな…

※大きな茶壺

馬具の名称

※尾張徳川家

ミシンは
シンガー製が定番

※医者もされていたんでしょうか?
秤と薬研
薬研(やげん)は、漢方薬などをつくるとき薬効を持つ薬種
(草・根・木あるいは動・鉱物質)を細粉にひくのに用いる器具。
「くすりおろし」ともいう。石製のほか、鉄製、木製、陶製がある。
かつては石製のものが多かったが、今日では金属製のものが多い。
なお、小舟部分の断面はV字形となっているところから、
城の防御施設において、断面U字形の空堀を「箱堀」などというのに対し、
断面V字形の堀を「薬研堀」と称した。
(Wikipediaより)


右下の宝入れが良いですね。

※

15:00前なのに人が居ない…
何度声掛けても〜
休みかなぁ。。。

後ろ髪轢かれながら〜
また来ますわ!

※先へ〜
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
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