topページへ戻る コンテンツ メニューへ戻る 親爺紹介 リンクへ 一言BBSへ

令和二年、2020年!今年は東京五輪!!の正月は~
暖冬の予感、しかしこの日は寒冷前線のせいで寒く
渡来人や有名人の足跡探して…
生駒山系の北側から東側の地区をポタリ~

気候は京都市内と同じような北山颪も!
あれって愛宕山!?
今ですよ今!
前には
~今回は浮ドンと!

京田辺市 草内(咋岡神社) 13

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…
私も浮ドンもブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和二年01月05日
                                           UP日:令和二年03月26日


小学校脇を先へ~
神社参道ですね。



咋岡神社
草路城は、文明年間における畠山義就と畠山政長の抗争の際、
畠山政長方の遊佐兵庫が草路城に入ったが、
畠山義就方に攻められ落城したという。

畠山 義就(はたけやま よしひろ/よしなり)は、
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名である。
河内・紀伊・山城・越中守護。足利氏(足利将軍家)の一門に
て室町幕府の三管領家の1つである畠山氏出身。
父は管領畠山持国、母は側室。幼名は次郎、初名は義夏(よしなつ)。
子に修羅、義豊(基家)。猶子に政国。
家督相続を巡って、従兄弟の弥三郎政久・政長一派と対立、応仁の乱を引き起こす。
(Wikipediaより)


※草内小学校校門

城の石材を使った?
平和塔

※草内の老人会の方々が
広島原爆病院・慰霊碑を慰問
原爆遺品を収めた収納した。
「再び原爆許すまじ」

忠魂碑



日清日露戦争従軍者銘

※大東亜戦争従軍者銘
 
参道風景

※庚申塚

 燈籠


 
扁額


 
本殿舎は京都府登録文化財とか~

 山茶花咲く参道

※遥拝所
東向いて~
皇居?伊勢神宮?
 
青石ですね

※大正3年銘の
大正天皇御即位記念銘

 手水舎

※稲荷社
 
四つ足鳥居


 
社務所

※割拝殿
 
米寿を祝う「升掛け祝い」
此処にも~



大東亜戦争従軍者の
方々の写真


 
戦死者の方々の写真

※扁額
 
木鼻


 
本殿舎前狛犬


※吽
 
本殿舎脇から~


 
若宮八幡宮

※境内末社舎
 
撫で牛

※「升掛け祝い」
の中には絵馬も~
 
本殿舎から見返って~

※参道
 
西側の濠

※草路城跡碑
 
濠脇を~


 
草内幼稚園

※先へ~
怪しい親爺のポタメニューに戻る

01 02 03 04 05
06 07 08 09 10
11 12 13 14 15
16 17 18 19 20

ページトップに戻る


Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights