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令和二年、2020年!今年は東京五輪!!の正月は~
暖冬の予感、しかしこの日は寒冷前線のせいで寒く
渡来人や有名人の足跡探して…
生駒山系の北側から東側の地区をポタリ~

気候は京都市内と同じような北山颪も!
あれって愛宕山!?
今ですよ今!
前には
~今回は浮ドンと!

京田辺市 飯岡(咋岡神社) 15

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ~相棒自転車は…
私も浮ドンもブロ君でタンデムポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和二年01月05日
                                           UP日:令和二年03月26日


飯岡集落を~



先へ~



あの森が神社~



エエタケノコが採れそうな~

※古木(スダジイ)
 
神社正面

※茅の輪が~
 
春草を 馬咋山ゆ 越え来なる 雁の使は 宿り過ぐなり

※説明書き
 

※手水舎
 
天神宮銘

※手水鉢

 割拝殿舎

※米寿を祝う「升掛け祝い」
 
米寿を祝う「升掛け祝い」

※他にも~

 戦争に行かれた方の写真

※本殿舎正面
 
狛犬


※吽
 
本殿舎


 
袖壁には~
右大臣左大臣?



三和土ではなく
コンクリート?

※本殿舎前風景
 
本殿舎脇
摂社

※ハンドルでしょうか?
 

※撫で牛

増農
 
境内摂社

※遥拝所
伊勢神宮?
 
盛砂

※地層の化石?
 
どんど焼き

※御神木

 茅の輪裏から~

※社務所
 
東側には木津川
川向うは多賀から玉水の山際
前には

※スダジイの古木
此処にも
 
先へ~
向うに生駒山


 
天国への階段が見えます。

※生駒山~信貴山
 
 
田辺病院横目に~

※竹林の向こうに穴山梅雪の墓が在るそうで~
穴山 信君(あなやま のぶただ )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
甲斐武田氏の家臣で御一門衆の一人。穴山氏7代当主。
壮年期(永禄8年頃)に剃髪して梅雪斎不白と号したので
、穴山 梅雪(あなやま ばいせつ)の名でも知られる。
後代には武田二十四将の一人に含まれており、
南松院所蔵本では信玄の傍らに配置されている。
信玄末期より仕え勝頼期にも重臣として仕えたが、
織田信長の甲州征伐が始まると武田氏を離反した。
『東照宮御実紀』では、信君が家康を疑い別行動を取ったところを、
光秀から家康追討の命を受けた一揆勢によって家康と誤認されて、
家臣の帯金美作守らと共に宇治田原で殺害されたとする。
このように、自害ではなく落ち武者狩りや一揆によって
殺害されたとする資料も見受けられる。
一方、別行動を取ったとされる家康はかろうじて三河国に帰国した(伊賀越え)。
(Wikipediaより)

 
先に見えるは
旧 山本の集落

※タゲリが飛び立ちます。
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