topページへ戻る コンテンツ メニューへ戻る 親爺紹介 リンクへ 一言BBSへ

令和元年、2019年の晩秋は〜
刈穂の圃場、燃立つ紅葉、古の職人技の集積地…

分水嶺の地、篠山から春日へ!
秋晴れの里山と有名人の足跡と!
今ですよ今!
前には〜
01 02 03 04 05
中井権次一統作以外の彫物師も…ほぉ〜と感嘆が漏れます。
高屋(天満宮)〜 03

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し〜
JR大阪東線の恩恵で輪行ポタ〜相棒自転車は…英国車BSA号!
浮ドン・まだサンはブロ君でトリオポタ!!
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和元年12月01日
                                           UP日:令和元年12月26日

特産の黒豆の収穫時
正月準備ですね。

※先へ〜

巧徳碑横目に〜

※この丘の上に〜

天満宮サン

※カシノキが町の樹とか〜
延宝
1673年から1681年までの期間を指す。
この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱、徳川綱吉。
(Wikipediaより)


水汲み場

※扁額

一段登れば〜

※元神宮寺

手水舎

※宅地より上っています。

自然石を利用した
石燈籠

もう一段登って〜
神社が

※拝み石
丸型に扇が彫られています。

拝殿舎は無い小さな本殿舎ですが、
見事な彫刻が〜

※正面には鳳凰・龍+獅子頭

所狭しと〜

※虹梁にも木鼻にも
溜息が出ます。

正面右側面にも龍が〜

※鉄髭では無いですがね。

龍の裏側には彫師の名は無いです。

※中国の仙人像も〜

本殿舎裏側

※正面左側面にも龍
『かけや』も奉納されてます。
木ハンマは、他のハンマーと異なり頭部の角で相手を打つ。
質量が小さいので打撃力を一ヶ所に集中させる為である。
木(もく)ハンマの場合、頭部の柄を入れる穴が一方向のテーパとなっており、
先の方から柄を打ち込む。
この点は、くさびを打って木の柄を広げてハンマーの柄をとめる他のハンマーと
全く異なる取付け方である。
『日本書紀』巻七「景行天皇紀」と『豊後国風土記』には、
木槌がかつて武器として使われていたことを示唆する記述がある。
景行天皇十二年十月の条として、熊襲親征の途上現在の大分県別府市のあたりへ
進駐した景行天皇軍が、巨大石窟に立てこもって
天皇に従わない土蜘蛛らを皆殺しするくだりがそれで、
このとき天皇軍の精鋭が武器として使ったのが付近にあった海石榴で作った槌だったという。
弁慶の七つ道具にも大槌が含まれており(加えて大鋸とまさかりも含む)、
立木を刈り倒して地面に杭を打ち柵や塀を築く築城ではもちろん、
逆に敵側が築いた門扉や柵などを破壊する工兵器材として用いられ、
半ば応急的に武器として振るわれることもあったと想像できる。
(Wikipediaより)


緊張感のある木彫です。



見事な調和も感じます。

※境内摂社

袖壁は透かし彫りではありませんが〜

※破風裏も綺麗に〜

正面から見直しても
左右対称的な鳳凰


 
本殿舎正面

※見返って〜

狛犬


※吽
石工渾身の作
 
文政期の石碑

※現代の〜^^;
ちびまる子ちゃんの爺さん婆さん

屋根・玉垣・石垣
改修記念碑



神宮寺前の拝み石は
扇形

※神社近くの広場には〜

供養塔

※何方の供養碑でしょうか?

昭和7年銘です

※伯々上、山名
株中
何でしょうか?

尋ねようとしても
何方も居ない…

※篠山三和線で北上し〜
山は色付いて〜

旧家を建替えられたんでしょうね。

※唐臼

オブジェとして〜
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は8年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
阪神大震災も24年…今年こそエエ年に!
平成末は北大阪大震災・豪雨・台風被害
令和初年は台風15・20号被害に胸が痛みます。
遂に天皇陛下は年下に〜
消費税も10%に!!
ページトップに戻る

01 02 03 04 05
06 07 08 09 10
11 12 13 14 15
16 17 18 19

怪しい親爺のポタメニューに戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.