
慈明寺の旧村
橿原市慈明寺町
畝傍山西北麓に立地。北は寺田村。
三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「慈明寺 御油七升 正願院寄」とある。
中世、地侍慈明寺左門藤原順国は筒井順慶の姉をめとり、その子定次は筒井氏を継ぎ、
天正一三年(一五八五)上野城(現三重県上野市)城主として移封されたという。
また慈明寺氏は巨勢氏の苗裔と伝え(国民郷士記)、
城跡は当村南方の小字古屋敷・馬場ノ脇・下ノ木戸付近に推定される(飛鳥誌)。
(コトバンクより)
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畝傍山裾の道
※参道鳥居が~
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行きましょう~
※溜池も多くあります。
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一の鳥居
※扁額
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裏側から~
※バナナ(芭蕉)
青い実が成っていますね。
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柿の実も赤く~
※西側には金剛葛城の峰も~
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慈明禅寺さんの向こうに鳥居が見えます。
※脇にはスイセン塚古墳案内板~
スイセン塚古墳
畝傍(うねび)山西北麓、慈明(じみよう)寺北の尾根上にある前方後円墳で、
前方部をほぼ西に向ける。
名称から「大和志」などは綏靖天皇の桃花鳥田丘上(つきだのおかのへ)陵とするが、
同陵は四条(しじよう)町に治定されている。
墳丘の長さ約五五メートル、後円部に比して前方部が低平で、
狭長なことから古式の前方後円墳であろう。
畝傍山周辺は奈良盆地では古墳の少ない地帯で、
東麓には同じく前期に属するイトクノ森古墳があるが、中・後期の古墳はほとんど存在しない。
畝傍山は古墳時代の中・後期になって、なんらかの理由によって
古墳の築造が忌避、または敬遠されたものと思われる。
(コトバンクより)
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慈明寺(じみょうじ)は、奈良県橿原市の畝傍山(慈明寺山)に
ある曹洞宗の仏教寺院。山号は雲飛山。
この付近は安土桃山時代の
奈良大和郡山藩主・慈明寺順国(筒井順国とも。
筒井氏の祖)の出身地でもある。
(Wikipediaより)
※慈明寺 順国(じみょうじ じゅんこく/としくに)は、
戦国時代の武将。筒井順慶の叔父で、筒井定次の実父。
筒井順興の子として生まれ、慈明寺氏の養子になったという(『和州諸将軍伝』)。
大和国慈明寺城(奈良県橿原市)の城主で、
兄・筒井順昭の死後、他の一族らとともに甥の順慶を支えたとされる。
順国は順昭の娘(順慶の姉)を妻に迎え、二男として定次を儲けたとされ、
定次は元亀3年(1572年)1月11日に順慶の養子になったといわれる(『断家譜』『寛政重修諸家譜』)。
天正12年(1584年)に順慶が死去すると定次がその跡を継いだ。
天正13年(1585年)に定次が伊賀転封を命じられた際、順国は大和に残り、羽柴秀長に仕えたという。
その後の消息は不明。
(Wikipediaより)
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天神社サン
※扁額
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拝殿舎正面
※狛犬
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狛犬脇に
大きな木の切り株跡
※台座には明治期銘
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撮影中
※石工名も~
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拝殿舎前扁額
※拝殿舎内には
沢山の絵馬が~
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大正期の黒牛と梅図
※反対側にも~
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本殿舎3柱
※神宮寺だったんでしょうね。
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遠くマラソン大会のアナウンスが聞こえる季節。
※先へ~
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