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令和七年、2025年!今年は猛暑が長すぎて~
でも、この日は短い秋日和

何処行こうか?
浮ドンの気に成るところ~

前には

今回も、浮ドンと!奈良へ~
大和三山巡り行こうかとしましたが~
何で?
畝傍山周りで時間切れ…残念!


奈良県橿原市八木町(八木街道の街並) 20

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
今回は休日タンデムポタ~相棒自転車は…
新顔のツインドラゴンとミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和七年11月03日
                                           UP日:令和七年11月07日


小房の旧村
袖壁が睨み合って~

※大和格子と潜り戸

白壁土蔵

※大願寺さん

南北の通りです~

※床几の有る家屋

前に~の大和高田市とは
少し違った街道風景



細かい格子



創立150周年
晩成小学校は,明治7(1874)年に創立され、今年度で「151年目」を迎えます。
創立時は「培擁館」という名称で発足し、明治9(1876)年には,
「八木小学校」と校名を変更しました。
その後、明治18(1885)年に「小房小学校」と合併し、
現在の地に校舎が新築されました。
「晩成小学校」という校名は、「大器晩成」という郷土の人々の教育への願いを
受け止める形で命名されたと言われています。
本校の先輩方は,「明治」・「大正」・「昭和」・「平成」・「令和」と,時代は変われども、
その素晴らしい校風を長きにわたってしっかりと受け継ぎ、
晩成小学校としての輝かしい歴史と伝統を築き上げてこられました。
(晩成小学校HPより)

※袖壁の有る町並み~

八木の旧村へ~

中街道(なかかいどう)は、奈良市から橿原市を経て五條市に至る街道。
古代では「下ツ道」(しもつみち)と呼ばれた古代官道のひとつであった。
奈良時代には飛鳥・藤原京と平城京をまっすぐ繋ぐ大道として
盛んに利用されたと思われる。
しかし長岡京、平安京への遷都の後は衰退して維持されなくなった。
その道路敷は現在、一部で寺川などの河道に利用されている。
(Wikipediaより)

※トタン被せ家屋

丸ポスト

※JR万葉まほろば線

畝傍駅(うねびえき)は、奈良県橿原市八木町二丁目にある、
西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)の駅である。
乗降客数は近鉄大和八木駅など市内近隣の主要駅よりも遥かに少ないが、
JTBの時刻表などでは、当駅が橿原市の代表駅とされている
(当駅が橿原市役所の最寄駅であるため)。

なお、かつては近鉄吉野線の旧線でもある小房線(おうさせん)の起点駅でもあった。
1893年(明治26年)5月23日:大阪鉄道 (初代)の高田駅 - 桜井駅間延伸により開業。
1900年(明治33年)6月6日:買収により関西鉄道の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日:国有化により帝国鉄道庁の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。桜井線の所属となる。
1924年(大正13年)11月1日:吉野鉄道(現在の近鉄吉野線の前身)が
              橿原神宮前駅(初代)から延伸し当駅に乗り入れ。
1929年(昭和4年)8月1日:吉野鉄道が大阪電気軌道に買収され、同社吉野線と国有鉄道(省線)の駅となる。
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄と合併し、関西急行鉄道となる。
1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道となる。
1945年(昭和20年)6月1日:近鉄小房線となっていた橿原神宮駅駅(現・橿原神宮前駅(2代目))  
             - 畝傍駅間の旅客営業休止。
1952年(昭和27年)4月1日:近鉄小房線廃止。国鉄単独駅に戻る。
(Wikipediaより)

魚屋さん~
ウナギのかば焼き
食べたかったなぁ~

※飾り瓦
戎様

桜井線(さくらいせん)は、奈良県奈良市の奈良駅から
奈良県大和高田市の高田駅までを結ぶ
西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

万葉まほろば線(まんようまほろばせん)という愛称が付けられており、
愛称制定後は旅客案内において正式路線名の「桜井線」と案内されることはほとんどない。
(Wikipediaより)




信号は国道165号との交差点

※西側~

北へ~
白壁土蔵~

※重厚な御家の睨めっこ!

大きな虫小窓

※岡本家住宅
橿原市街中心部を縦貫する下ツ道に東面して建つ。
表屋造とし、つし二階建の表屋と総二階建の母屋、二棟を繋ぐ玄関、土塀からなる。
玄関・母屋には中廊下を通し、左右に居室を配する。
良材で丁寧に仕上げ。
一階の出格子と二階の漆喰塗で、街路景観を形成する。
(文化遺産オンラインHPより)

歴史の流れの中に~

※身を任せて~

古代の「八木」は、南北の下ツ道(後の中街道)と
東西の横大路が交わる一帯に交通の要衝として生まれました。
中世の古文書によると「数百間の屋形」が立ち「矢木市」と呼ばれていました。
横大路の北側が十市郡に、南側が高市郡に属したため豪族支配の境界域となり、
北側の十市氏と南側の越智氏が争いを起こすと町屋はその都度、兵火に焼かれました。
兵火のたびに急速な復旧を繰り返した町並みも、江戸時代になると争乱が途絶え
北側が郡山藩領に南側が高取藩領になり、元禄時代に北側が幕府直轄の天領となったあと
安定した発展をみせます。
江戸時代の中期以降この地を、吉野・高野詣や大和巡り・伊勢参りなど
大勢の人々が全国から訪れ、街道町として栄えると同時に
奈良盆地南部の拠点としても注目を浴びます。
旅行案内・西国名所図絵が「晴雨暑寒をいとわず-平生に旅人間断なく」と
街の中心「札の辻」のにぎわい振りを紹介しています。
(橿原市HPより)

※元は旅館だそうで~
資料ユックリ見たかったです。

残念~

※説明板

お向かいも
エエ雰囲気です~

※見返って~

見返って~

※先へ~

御所の町にも似てますか~



河合源七郎家住宅は、この「札の辻(ふだのつじ)」の北側にあり、同じく登録文化財である、
河合鋭治家住宅の南側に位置しています。
現在の所有者である3代目河合源七郎の祖父、初代源七郎によって明治20年代後半に町家として
主屋を建築、さらに大正時代に主屋の東側に離れ座敷や茶室が増築されました。
建物群は「下ッ道」に内蔵(うちぐら)・主屋が西面し、内蔵の南側に貴賓口(きひんぐち)、
主屋の南側に高い境界塀が道路に面して配置されています。
主屋は東側に奥深く続き、その背面、庭を挟んで、離れ座敷と茶室が配されています。
茶室の南側には外蔵(そとぐら)が配されています。
旧街道に面して、蔵の妻面、「貴賓口」をはさんで重厚な「出桁(でげた)造」
・漆喰塗込(しっくいぬりごめ)の主屋、高い境界塀と、その変化のある外観は、
町の景観構成に深く寄与しており、北隣の河合鋭治家住宅と並ぶ姿は
八木の町の歴史的景観を形成する重要な要素となっています。
(橿原市HPより)



電線が残念ですね。



河合鋭治家は、この「札の辻」の北側にあり、同じく登録文化財である
河合源七郎家住宅の北側に位置しています。
1843年(天保13)8代河合庄九郎の頃には絞り油屋を営んでおり、
その頃に使っていた油壺が発掘されていることから、この建物はすでに建っていたと思われます。
その後、江戸末期の1859年(安政6)九代庄九郎のときに庄屋になり、両替商を営んでいました。
河合家の建物群のうち、主屋と乾蔵(いぬいぐら)が「下ッ道」に面しています。
乾蔵は主屋の北側に配置され、「下ッ道」に突出しており、
この界隈の景観を印象付ける大きなアクセントとなっています。
主屋裏手南側には後補の隠居所、渡り廊下を介して内蔵が付属し、主屋の裏側、
東側に広がる敷地内には離れ座敷と茶室が建っています。
さらに離れ座敷と茶室の北側には長屋門(ながやもん)が北側の道路に面して建っています。
正面に木太い格子を構え、段違いの軒でおおらかな大屋根が重厚な外観を印象付ける大規模民家であり、
南隣の河合源七郎家住宅と並ぶ姿は八木の町の歴史的景観を形成する重要な要素となっています。
(橿原市HPより)

※見返って~

何処もエエやん!

※又、ユックリ来たい町ですね。

のんびりと~



近鉄大阪線踏切

※大和八木駅は高架でしたが~

先へ~



えっ何?

※気に成りますよね~

庚申塚です。



さるぼぼですね。

さるぼぼは、飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。
飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」の意味。
近年では、土産として飛騨地方の観光地で多く見られる。

このさるぼぼの源流を辿ると、奈良時代に遣唐使が唐(中国)から伝えた
「這子」や「天児(あまがつ)」と呼ばれる形代が原型であると言われている。
最初に当時の貴族の間で”産屋のお守り”として正絹で作られたものが流行し、
その後家にある余り布などで作られた物が徐々に民間に広がっていく中で
「安産」や「良縁」・「子供の成長」・「無病息災」などを願うお守りとされていった。
猿の吊し人形には、以下のようなものがある。
奈良県奈良市 - ならまち庚申堂の身代り申。
京都府京都市東山区 - 八坂庚申堂のくくり猿。
(Wikipediaより)

※手水鉢
 
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