![]() 10年前には、まだサンと訪れています。 ニホンオオカミは、明治の初めまで、本州・四国などにかなりの数が生息していたようですが、 その後急減し、明治38年(1905年)東吉野村で捕らえられた若雄のニホンオオカミが 日本で最後の捕獲の記録となりました。 当時ここ鷲家口の宿屋芳月楼で地元の猟師から、 英国より派遣された東亜動物学探検隊員米人マルコム・アンダーソンに8円50銭で買いとられ、 大英博物館の標本となっています。 この標本には、採集地ニホン・ホンド・ワシカグチと記録され、 動物学上の貴重な資料となっています。 かつて台高の山野を咆哮したニホンオオカミの雄姿を、 奈良教育大学教授久保田忠和氏の手により、等身大のブロンズ像として再現しました。 昭和62年(1987年) 東吉野村 ※標高250m附近 |
![]() 狼王ロボを思い出します。 ※ |
![]() 吉野川水系の高見川沿いに ※立札には~ |
![]() 小川城阯(ハルトヤ城址) 地元の豪族小川氏の 南北朝時代から支配した地とか… ※東吉野村役場も~ |
![]() 綺麗に整備されています。 ※ |
![]() オオカミ中最小の亜種の1つで、特に四肢と耳介が短い。 体毛は長く、淡色を帯びたベーシュ色、顎・背・体側・尾の毛の先端が僅かに黒い。 上下唇と頬は白色に近く、耳介後面は赤茶色、前膊下部全面に焦茶色の斑紋がある。 頭骨は短小で吻は短く広い。 体長その他の測定値は、頭胴950〜1140、尾300、足245〜250、 耳80〜81、頭骨全長186〜208などとなっている(単位はmm)。 また、前翼孔が二分することや、口蓋骨水平版後縁に顕著な湾入が認められるなど、 頭蓋骨に特徴があり、本種の同定に大きな役割を果たしている。 (Wikipediaより) ※ |
![]() 銘が入っています。 ※由来記 |
![]() 天皇陛下行幸跡 ※ |
![]() 句碑 狼は亡び 木霊は 存ふる。 ※ |
![]() 東方向に進みます。 ※この山を狼は駆け回ったんでしょうか~ |
![]() R166に合流附近に 町並みが残されています。 ※ |
![]() Kさんも描かれています。 ※虫籠窓と飾り瓦 |
![]() 街道筋ですね~ ※川向こうに土蔵 後程に~ |
![]() 天誅組遺跡 |
![]() 藤本 鉄石(ふじもとてっせき、文化13年3月17日(1816年4月14日) - 文久3年9月25日(1863年11月6日))は、 幕末の志士・書画家。諱は真金。通称を学治・津之助、字を鋳公。 鉄石・鉄寒士・吉備男子・柳間契民・海月浪士・取菊老人・都門売菜翁など多数の号がある。 岡山藩を脱藩し、諸国を遊歴して書画や軍学を学ぶ。 京都で絵師として名をなし、尊攘派浪人と交わり志士活動を行った。 大和行幸の先駆けとなるべく大和国で挙兵して天誅組を結成し、吉村虎太郎、松本奎堂とともに 天誅組三総裁の一人となる。 その後、幕府軍の討伐を受けて天誅組は壊滅し、藤本も戦死した。 (Wikipediaより) ※ |
![]() 戦死地石碑には 真新しい花も手向けられていました。 ※百年祭銘も~ |
![]() 松阪からの帰り道には 気に成っていた地区です。 ※街道筋の様な~ |
![]() 紀州藩の飛び地だったと 和歌山城で伺いました。 ※ |
![]() 此処も気に成っていました。 ※FRP製の木の桶型? |
![]() 沢山見られます。 ※色んな大きさです。 |
![]() 型枠でしょうか? ※吉野杉と関係があるのでは? と思ったんですが~ |
![]() 風景に溶け込んでいます。 ※軒先風景が好きです。 |
![]() 吉野と桜井の分岐点 伊勢街道の要所だったんですね。 ※ |
![]() 常夜燈兼ねた道標 文政期の銘も~ ※江戸が示された道標の最西端だとか~ |
![]() 西 右 小川河上 左 いせくまの 道 ※ |
![]() 南 右 いせ江戸 左 はせ大坂 みち |
![]() 高見●道路元標 ※奈良県 |
![]() 藤堂藩本陣跡(津藩) 天誅組を迎え撃ったとか~ ※この道標は? |
![]() 右 高見、伊勢 左 古市場、宇陀、榛原 道 ※右 小川、四郷川 左 高見、伊勢 道 |
![]() 大正期ですか~ 鷲家青年會 銘 ※通学路標識がコナレテイマス~ |
![]() 変形の四差路 ※見返れば~ |
![]() 鏡遊び~ ※セルフポートレート |
![]() 確認中~ |
| Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights |