
JR桜井駅集合で~
※北口駅前ロータリーにて
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ヤマト王権(ヤマトおうけん)は、
大和時代に「ヒコ(彦)」「ワケ(別)」「オホキミ(大王)」などと
呼称された首長もしくは豪族連合によって成立した
古代日本列島の政治および軍事勢力。
大和盆地および大阪平野を本拠とし、2世紀〜3世紀頃にかけて瀬戸内海周辺をはじめ、
山陰および北九州を含む西日本全域、東海などの地域にまでその勢力を及ぼし、
原始的な国家ないし国家連合として成立し、纏向遺跡などの計画都市を造営した。
4世紀以降では関東・北陸・南九州などをも統合、
王権の象徴となる巨大な前方後円墳を築いた。
(Wikipediaより)
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前方後円墳
日本列島の古墳には、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳など
さまざまな墳形がみられる。
数としては円墳や方墳が多かったが、墳丘規模の面では
上位44位まではすべて前方後円墳であり、
もっとも重要とみなされた墳形であった。
前方後円墳の分布は、北は山形盆地・北上盆地、南は大隅・日向におよんでおり、
前方後円墳を営んだ階層は、列島各地で広大な領域を支配した首長層だと考えられる。
(Wikipediaより)
※市民顕彰碑
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さすがに環濠は見られない。
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この日は曇り空で
我が保有のミニベロ3台で~
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上街道沿いを~
上ツ道(かみつみち)は、古代日本における官道のひとつで、
近世日本において同官道を元にした街道である。
近世においては、上街道(かみかいどう)とも呼ばれた。
6世紀後半から7世紀にかけて整備された古代計画直線道路のひとつで、
南北方向に延びる道としてはいちばん東側に位置した。
同様に南北に縦断する中ツ道、下ツ道とほぼ等間隔で平行するが、
櫟井(いちい、天理市櫟本町)付近から北は、東の山系の山麓部となるため、
直線道路の痕跡は残っていない。
桜井市から天理市南部にかけては比較的よく形跡が残っている。
その道路幅は発掘調査により43mと推定されている。
桜井では「山田道」と接続し、飛鳥方面にも続いていた。
しかし平安京遷都以降は次第に使用・維持がされなくなったと考えられている。
箸墓(現在の桜井市箸中)付近は壬申の乱の古戦場となった。
平安時代以降は官道としては機能しなくなり、
代わって仏教信仰の広まりとともに寺院への参拝道として賑わうようになった。
近世にはいると、その道筋の一部区間が西側にずれるが、
奈良、櫟本、丹波市、三輪、桜井といった町を結ぶ幹線道路として機能し、
奈良から長谷寺、室生寺、三輪明神への参拝道としても賑わったほか、
大坂、京都、奈良方面から伊勢方面を結ぶ「伊勢街道」のひとつとして機能した。
(Wikipediaより)
※土蔵の二次使用法
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粟殿の旧村へ~
※一本一得!
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粟殿(オードノ)と読むそうです。
※立派な土蔵
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四ツ目蔵
※屋門好きです!
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鎮守の杜が目印
※本日1社目に
到着しました。
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大神神社サン
※正面より
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境内状況
※やはり大和川水系関係か?
波模様の入った飾り瓦
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明治期の鳥居
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願主は大阪の方
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手水舎
※青石の手水鉢
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境内風景
※平成3年の御芳名
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燈籠群
※拝殿舎内
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粟殿しのび踊り
※本殿舎
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社殿前狛犬
阿
※吽
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拝殿舎内の扁額
武者や貴族の祭り風景
祇園祭の鉾のような山車が描かれています。
この神社サンとの関係は??
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本殿舎脇から~
※御神木?
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伊勢神宮遥拝所
※伊勢燈籠の多い地区です。
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石燈籠
※令和元年銘の御芳名
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石燈籠
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お世話されている方が
いらっしゃったので内部で
お参りさせていただけることに~
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御本殿
※御祭神名
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お掃除されています。
御苦労様~
※近くで嬉しそう~
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本殿舎周りの木彫
見事な透かし彫りも~
※松に波
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周りの檜皮葺屋根にも
木彫が見事に~
※拝殿舎内部に
昔の太鼓も
上には小太鼓~
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秋の県無形文化財
獅子舞奉納記念写真
※消防車入魂式風景
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大きな太鼓です~
※新しい方も~
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境内摂社も~
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波と松に鶴
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鹿に紅葉
飾り瓦
※お邪魔しました~
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