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令和八年、2026年!今年初ポタはGWに~
でも、この日は「花曇り」と「走り梅雨」の間のヤヤコシイ天気!

何処行こうか?
浮ドンの気に成るところ~

今回は、浮ドンとまだサンと奈良へ!!
三輪山、山野辺の道近くに行こうかと~
高校時分ぶりやとか~

奈良県桜井市金屋(仏教伝来の地顕彰碑) 07

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
今回は休日トリオポタ~相棒自転車は…
新顔のツインドラゴンとプー太、ミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和八年04月29日
                                           UP日:令和八年04月30日


JR桜井線
(万葉まほろば線)
新快速型2両編成はJR和歌山線と同じです~

※2022年3月12日改正時点の日中の運転本数は、
平日が奈良駅 - 高田駅間の全線で1時間に1本、
休日が奈良駅 - 桜井駅間で1時間に2本(約30分間隔)、
桜井駅 - 高田駅間で1時間に1本である。
(Wikipediaより)


踏切渡って~

※紀元2600年記念碑と式内社碑
式内社は後程~

海柘榴市は、この辺りだとか~
海柘榴市(つばいち)とは、かつて大和国にあった古代の市。
平安時代以降は宿場となった。海石榴市・椿市・都波岐市の表記もあり、
読みも「つばきいち」から「つばいいち」を経て「つばいち」に転訛した
現在の桜井市金屋あたりに比定されるが、所在地が移動したとする説もある。

付近は大和時代から、初瀬川の舟運と、
東西に横大路初瀬街道伊勢街道・忍坂道、南北に上ツ道山辺の道
多武峰街道・阿部山田道などが交わる交通の要衝であった。
それゆえ海柘榴市は磯城嶋金刺宮や小墾田宮など都の玄関口でもあり、
駅家も置かれたほか、刑を処する晒場や歌垣を行う場でもあった。
都が平安京に遷都したのちも、長谷寺参詣の宿場として繁栄した。
宿場としての海柘榴市は『枕草子』や平安貴族の日記にも記され、
『源氏物語』の舞台にもなった。
(Wikipediaより)



トタン被せ家屋



長谷街道

※案内板がアチコチに~

此処にもトタン被せ家屋

※先は大和川(初瀬川)

金屋の道標

※左 いせ・はせ道
右 なら道

天保期のもの

大和川堤へ~

舗装整備されてます。

※下流側~

仏教伝来之碑
百済からの公伝地とされる記念碑


 
平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - 2011年11月26日)は、
華厳宗の僧侶で歴史学者。第213世東大寺別当。書家。
東大寺上之坊住職、東大寺執事長、華厳宗管長、東大寺別当を歴任。
(Wikipediaより)

※平成9年の案内板

平成9年
新しい石碑ですね。

※馬井出橋

夕去らば かはづ鳴くなる 三輪川の
清き瀬の音を 聞かくし良しも

※万葉歌碑

揮毫者は、桜井市出身の考古学者で
國學院大学名誉教授の樋口清之氏


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