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令和八年、2026年!今年初ポタはGWに~
でも、この日は「花曇り」と「走り梅雨」の間のヤヤコシイ天気!

何処行こうか?
浮ドンの気に成るところ~

今回は、浮ドンとまだサンと奈良へ!!
三輪山、山野辺の道近くに行こうかと~
高校時分ぶりやとか~

奈良県磯城郡田原本町藏堂(須佐之男神社) 24

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
今回は休日トリオポタ~相棒自転車は…
新顔のツインドラゴンとプー太、ミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和八年04月29日
                                           UP日:令和八年05月02日


県道西へ~

※大和川(初瀬川)堤防に~

堤防を遡ります~

※タケノコがミサイルの様に~

大川橋

※東は為川の旧村

あれは前に
ゴム引布製起伏堰(ゴムひきぬのせいきふくぜき)は、
ゴム引布製のチューブに空気や水を注入・排出することで起伏させる堰。
ゴム堰、ラバーダム、バルーンダム、ファブリダム(住友電気工業の登録商標)ともいう。
水をせき止める目的で川に建設される堰のうち、水門(ゲート)などの
可動部分を持つものを可動堰といい、持たないものを固定堰という。
可動堰のうち、ゲートが上下動するのではなく起伏するものを起伏堰といい、
ゲートを起こした状態(起立という)で水をせき止めておき、
洪水などで増水した際に倒して(倒伏という)放流するものである。
起伏堰のうち、筒の形をしたゴム引布製の袋を用いるものがゴム引布製起伏堰である。
アメリカ合衆国・ロサンゼルス市水道電力局(英語版)の
ノーマン・インバートソン(Norman Imbertson)が1956年に考案したもので、
日本では1965年に導入が始まり、1993年には2,400もの施工例を数えるまでになった。
設置の目的としては灌漑、高潮に対する防潮堤、レクリエーションなどが挙げられる。

※ゴム引布製起伏堰の実体とも言えるゴム引布製のチューブは、専門的には袋体といい、
その断面は円形をしている。これに空気や水を送り込んだり、
排出したりすることで起伏させる。
操作に必要な機械はブロワーやポンプといったものだけで済み、
倒伏動作に限っては動力をまったく必要としない。
設置やメンテナンスに必要な手間やコストが安いのが特長である。
チューブの寿命は素材の耐久性や実際の運用実績からみて、
少なくとも30年間以上といわれる。
(Wikipediaより)

大字 為川南方(おすこすさん)
大字 藏堂 (すこんどこう) 天理市 遠田
数献當講
田原本町 為川南方、 蔵堂、 天理市 遠田 (旧川東村) の三ヶ大字の輪番で行われている
数献當講(為川南方はオスコスサンと唱え講を「餅食い講」、蔵堂ではスコンドウと唱え
講を「赤飯講」、 遠田ではスウトンコウ又はスウコントウコウと唱え講を「芋食い講」と
も言う)が祭りは3年交代で為川南方→蔵堂→天理市 遠田と送られて行き、 頭屋は10月
11日頃の祭礼当日、午前8時頃から頭屋宅で1年間頭屋宅で祀られる数献當御神体の壺を
収める屋形つくりが行われ、午前10時半頃より頭屋宅を出発して、 数献當講のご神体の壺
(高さ約40cm口径約12cmの石製壺) が掘り出された為川南方、 蔵堂、 遠田の大字
境界の遠田池 (小字名 古屋敷) 南西角へ昨年の頭屋より送られた壺を厳粛受け取り持ち
帰りこの壺を1年間頭屋が奉祀し来年行事当日次の大字頭屋へ受け渡しをする。 この様に
1つの壺をご神体とし隣接する集落が輪番での祭禮行事は田原本町周辺も含め他に例のな
い特異な伝統祭禮行事である。 隣接する集落のコミュニケーションを計る為の行事である
のか、この伝統祭禮行事の成り立ちや背景など研究課題のある民俗行事である。
(現地看板より)

ググったら
『本朝神社考』に、「むかし大和の洪水の折、
初瀬川大いに漲(みなぎ)り、大きな甕(壷)が流れきたり、 
~後にまた小舟に乗って播磨に着し、大荒明神となった」
という社伝があり,、この甕に乗ってきた男の子が秦河勝だと伝えます。
柳田國男は、これが文献に見られる一番古い桃太郎の
モティーフである可能性を指摘しています。
前に

三輪山望む地区



ガメラみたい!
蔵堂の浄福寺さん

※大きな御家

下層方形・上層六角の異色の御堂

 ※初瀬川の東岸に建つ融通念仏宗の寺院です。
寺伝によると、1571(元亀2)年の開基で、
僧快運の中興といわれています。
本堂は、下層⽅形、上層六⾓の建築物であり、
1866(慶応2)年6⽉24⽇の棟札があります。
本尊の⽊造阿弥陀如来及両脇侍像(鎌倉時代)は、
本尊が⾼さ88cm、両脇侍が62cmで、県の⽂化財に指定されています。
右脇侍がひざまずき、左脇侍が⽚膝を⽴てている姿は、
臨終の際に阿弥陀三尊が迎えに来る場⾯を現しています。
また、京都府和束町⽯寺の⻘蓮寺跡に残されている古鐘(1438年=永享10年)に
「⼤和州城下郡常福寺」の銘が刻まれており、もと本寺に伝来していたものといわれています。
(田原本まちづくり観光振興機構HPより)

蔵堂(くらんど)
三濱本家住宅跡
ググっても出てこない~

※住宅地内に
祀られていたんでしょうか?
發王地大神
梅龍王大神


旧村内へ~



大きな御家が多い地区

※路地の中に鳥居~

須佐之男神社碑

鳥居には
大阪有志

※大正期

境内風景

※手水鉢

村屋神社…?
太々神楽
後程村屋神社は出てきます。
此処は境外摂社でしょうか?

※此処にも手水鉢
 
社殿前風景

※拝殿舎内部

太神宮と愛宕山権現銘石燈籠

※お参りします~

二柱の本殿舎

※社殿内狛犬に興味津々
阿吽逆では?

社殿内狛犬


※吽

陶器土もの製狛犬


※吽

これは?
力石では無いですねぇ~

※境内には広い空地が~
神宮寺の跡でしょうか?

大きな樹の下に~

※正一位
高倉大明神
玉姫大明神
稲荷社ですね。

旧村中を引き返します。

※エエですね~

大和川の水運でも
栄えたんでしょうか?

※川の向こうから
呼ばれています~
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