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令和八年、2026年!今年初ポタはGWに~
でも、この日は「花曇り」と「走り梅雨」の間のヤヤコシイ天気!

何処行こうか?
浮ドンの気に成るところ~

今回は、浮ドンとまだサンと奈良へ!!
三輪山、山野辺の道近くに行こうかと~
高校時分ぶりやとか~

奈良県桜井市金屋(志貴御縣坐神社) 09

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
今回は休日トリオポタ~相棒自転車は…
新顔のツインドラゴンとプー太、ミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和八年04月29日
                                           UP日:令和八年05月01日


海柘榴市沿いに~

※山の辺の道道標
これより三輪大明神
はせ道
なら道

防火用水桶

※07ページに戻って~

行きましょう~

※一の鳥居

鳥居脇に
井戸なんですね。
前には

※脇の大きな建物は
天理教さんでした。

参道見返って~
鳥居は大阪銘

※大正期銘

二の鳥居

※扁額

磯城瑞籬宮は、第10代崇神天皇が営んだ宮とされています。
記紀によりますと、崇神天皇の時、民が死に絶えてしまうような
疫病が発生しました。
これは、三輪山の神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)の
したこととお告げを受けた天皇は、神の意に従い、
神の子孫となる大田田根子(オオタタネコ)を探し出しました。
そして、彼に託して三輪山に大物主大神をお祀りしたところ、
祟りが鎮まり疫病がおさまったとされています。
また、東海や北陸、西国、丹波へと四方に将軍を派遣し
国内の安泰につとめ、民をよく治めたことから、
初めて国を治めた天皇としてたたえられたと記されています。
(桜井市観光協会HPより)

※万葉歌碑
磯城島の大和の国に人二人ありとし思はば何か嘆かむ
 
万葉歌碑巡りが有るんですね。

お邪魔して~

※社殿正面

手水鉢

※磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)は、
日本書紀に記載されている崇神天皇の都。
奈良県桜井市金屋に存在していたと推定されており、
志貴御県坐神社には大正年間に「崇神天皇磯城瑞籬宮跡」の
石碑が建てられている。
本宮の北側には三輪山(大神神社)が鎮座する。
周辺には纏向遺跡をはじめとする古墳時代前後の遺跡が存在し、
箸墓古墳やホケノ山古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、
垂仁天皇陵などの巨大前方後円墳群が点在する。
(Wikipediaより)

石碑です。



社殿前風景~

※拝殿舎内部

毎日新聞に掲載されました。

※なにわ型ですね。

狛犬


※吽

社殿脇に磐座

※説明板

4つが並んでいる~
力石では無いですね。

※なんて~
馬鹿話しながら…

燈籠達

※境内末社
厳島神社サン

境内末社
弁財天サン

※脇から~

改修記念碑

※大正期の玉垣

本殿舎

※意匠が丁寧な造作に見えます。

お邪魔しました~

※脇の看板
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