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令和七年、2025年!大阪万博は駆込み入場者盛況de終了しました。
久しぶりの大阪市内ポタは半ドンで~

何処行こうか?
浮ドンの気に成るところ~

前には
~今回も、浮ドンと!

大阪市城東区野江(京阪電鉄軌道跡) 01

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
今回は平日半日タンデムポタ~相棒自転車は…
新顔のツインドラゴンとミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和七年10月21日
                                           UP日:令和七年10月24日


今昔マップ1/25000「大阪東北部」昭和4年修正・昭和7.70.30発行より
此の頃、圃場と井路(水路)新しい街造り中ですね。

京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英: Keihan Electric Railway Co.,Ltd.)
1910年(明治43年)4月15日に天満橋駅 - 五条駅(46.57 km)で運輸営業を開始した、
大阪市と京都市(京阪間)を結ぶ京阪本線を中心とした京阪線に加え、
京都市と大津市を結ぶ京津線と大津市内にある石山坂本線から構成される大津線や、
石清水八幡宮参道ケーブルを営業している。
営業路線の総営業キロ程は91.1 km(2024年3月31日現在)ある。

建設に当たり用地買収と路線の実測を開始すると、大阪市の行政指導(市営モンロー主義)や
淀川沿いの軟弱地盤、用地買収の遅れ、京都での琵琶湖疏水の堤防上への変更などで
十数か所にわたりルートの変更を余儀なくされた。
1908年(明治41年)9月にようやく全路線の青写真ができ上がり、同年10月より4工区に分割され建設工事が開始された。
そして1910年3月に軌道の敷設は完了した。

1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅(現・清水五条駅)間が開業した。
阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、
「京阪電鉄“カーブ”式会社」とも揶揄されたほどであったが、それを克服するため様々な技術開発が行われた。
1911年10月(明治44年)には森小路駅(現在の千林駅に相当) - 香里駅(現・香里園駅)間の沿線で電灯電力供給事業を開始。
1924年(大正13年)12月11日:蒲生駅 - 守口駅間の軌道工事方法の変更が認可。
1931年(昭和6年)10月14日:京阪本線の蒲生信号所 - 守口駅(現・守口市駅)間の併用軌道(通称「野江の七曲り」)を廃止。
同区間の線路を移設の上、立体交差化。
(Wikipediaより)

今回は野江~滝井手前までをポタリ~
 
京阪電鉄野江駅で待ち合わせ。

※今回の相棒自転車
新顔のツインドラゴン君と
ミニらんちゃん

放置自転車では有りません~

※行きましょう~

成育公園横目に~

※此処が旧の野江駅跡
20世紀には公衆トイレとして残っていましたが~

南へまっすぐ行けば
現在の複々線高架に当たります。

※現在は備蓄庫

京街道だった都島通り(国道筋)を
北へ~
高架はJR大阪東線

※東側
昔、此処には靴屋さんが有りました。

真っすぐ南から
此処で左方向に~

※国道筋商店街

西側です~

※シャッターが寂しいですが~

右側に榎並川が流れていました。

※お~
N360!!
可愛い~

地図で確認したら
現在の国道筋が旧の軌道ですね。
此方は京街道
前には

※関目の七曲がりですね。
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