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令和七年、2025年!大阪万博は駆込み入場者盛況de終了しました。
久しぶりの大阪市内ポタは半ドンで~

何処行こうか?
浮ドンの気に成るところ~

前には
~今回も、浮ドンと!

大阪市旭区新森(森小路遺跡) 15

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
今回は平日半日タンデムポタ~相棒自転車は…
新顔のツインドラゴンとミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和七年10月21日
                                           UP日:令和七年10月25日


両国町の旧村
誓願寺さん

※ん?何??

ありゃ~
廃寺?

※鐘楼は、
しっかりとしてますが~

内部は荒れ放題

※屋根から出た部分の
撞木も朽ち果ててます。

本堂の屋根瓦は…

※コナレ過ぎ~

本堂の垂木は大丈夫そう~

※裏側も、ありゃ~

何とか復活して欲しいですね。

※附近に旧村の面持ちは無いです。

内環状線渡って~

※新森中央公園到着!

白線は運動会の名残?

※森小路遺跡碑
昭和6年この付近で発見された、弥生時代の集落遺跡である。
セタシジミを主とした貝類のほか、櫛描文の土器なとが出土した。
最近の調査では、奈良時代から中世にかけてのものも発見される複合遺跡であることが判明した。
ここは標高3m以下のところで、市内における最低平地遺跡として注目されている。
(大阪市HPより)

河内湖の名残ですね。
前には~
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大正~昭和初期に都市計画で
ロータリーが出来たとか。
大阪市の公園造成は、大正末期から昭和戦前にかけて、
大阪市が市域周辺地区の農地の宅地化を推進する土地区画整理事業の中で進められた。
旭区においても、土地所有者の組合施行により、農地を対象に道路が新設・拡幅された。
各地区に公園そして宅地が整備されることになり、昭和7年 (1932)
市民の憩いの広場として、新森中央公園(当時は森小路公園)が現在の新森4丁目に完成。
面積は 8,809 平方メートル、園内には藤棚、砂場、水飲み場、便所などが整備された。
公園内には現在、森小路遺跡の石碑が建立されている。
これは昭和6年 (1931) この辺りで弥生式土器や石器が発見されて遺跡の存在が明らかになり、
当地が弥生時代の代表的な集落遺跡であったことが判明したからである。
(大阪市HPより)




時間の期限が~

※京阪森小路駅へ~

森小路駅近くの
お洒落な御家

※陶器を配して
絵に成るでしょう~!

この近くにも
もう一軒
あったんですが~
春日湯さん

※運河渡って~


この御家も
同じ建築家のデザインと思いませんか?

※同じく陶器を配して
うっとりします~

名残惜し気に~

※JR野江駅で
お疲れさまでした~!
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