
山道を走って
標高463.8m附近
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青石の石段
※杯状穴
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一の鳥居
弘法大師に高野山を授けた女神の社
丹生都比売神社
そのかくれ里は、日本の祈りのふるさと
高野山麓に広がる天野の里。
天上の「高天原」にもたとえられた美しい山里に、いにしえの聖なる赤をまとう女神が鎮まります。
丹生都比売大神は、古来魔除けとされる丹(水銀朱)をつかさどり、あらゆる災厄を祓う女神。
その御神威をもって元寇を退け、当社を紀伊国一之宮としました。
女神は神領高野山を弘法大師へ授け、高野山の総鎮守、真言密教の守護神となりました。
これが神と仏が共にある、日本の祈りのすがたの源泉となったのです。
(丹生都比売神社HPより)
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輪橋 - 太鼓橋。鏡池に掛かっている。
慶長年間(1596年 - 1615年)に淀殿の寄進で建立。
(Wikipediaより)
※前は渡れましたが~
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このせいですね
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二の鳥居
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第一殿:丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
通称「丹生明神」。古くより祀られていた神。
第一殿(重要文化財) - 江戸時代の正徳5年(1715年)再建。
第二殿:高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
通称「狩場明神」。高野山開創と関係する神。
第二殿(重要文化財) - 室町時代の文明年間(1469年 - 1486年)再建。
第三殿:大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)
通称「気比明神」。承元2年(1208年)に氣比神宮(福井県敦賀市)からの勧請と伝える。
第三殿(重要文化財) - 1901年(明治34年)再建。
第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
通称「厳島明神」。第三殿と同年に厳島神社(広島県廿日市市)からの勧請と伝える。
第四殿(重要文化財) - 室町時代の文明元年(1469年)再建。
(Wikipediaより)
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楼門(重要文化財) - 室町時代の明応8年(1499年)の造営。
13世紀末の作という「絹本著色弘法大師丹生高野両明神像」(金剛峯寺蔵)に
描かれた境内図には、現在の楼門の位置に八脚門が描かれている。
現在の形式は三間一戸の入母屋造で、檜皮葺。
(Wikipediaより)
※見返って~
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お洒落な意匠
※生の花です。
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丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ、にぶつひめじんじゃ、丹生都比賣神社)は、
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社。
式内社(名神大社)、紀伊国一宮。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称として「天野大社」「天野四所明神」とも。
全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。
(Wikipediaより)
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へぇ~
※杯状穴も~
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佐波神社(さわじんじゃ) - 明治時代に上天野地区の諸社を合祀したもの。
(Wikipediaより)
※お参りして~
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紀州青石の石垣
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境内風景~
※この位置から本殿舎が見えます。
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浮ドン頑張って~
※第一殿(重要文化財) - 江戸時代の正徳5年(1715年)再建。
第二殿(重要文化財) - 室町時代の文明年間(1469年 - 1486年)再建。
第三殿(重要文化財) - 1901年(明治34年)再建。
第四殿(重要文化財) - 室町時代の文明元年(1469年)再建。
若宮 - 祭神:行勝上人。本殿4棟と同列左端に鎮座する。
行勝上人は、丹生都比売神社の第三殿・第四殿を勧請した人物である。
(Wikipediaより)
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楼門
見返って~
※マムシに注意!
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石造五輪卒塔婆群
高い石柱の四基は、大峯修験者(山伏)が大峯山入峯に際し建てた碑で、県文化財に指定されている。
むかしは、鏡池の輪橋を渡った所に建っていたが、神仏分離により、大正年間にここに移された。
向かって右より
四号塔 延元元年(1336)泰助 外三十名
二号塔 正安四年(1302)定慶 外百七十名
一号塔 正応六年(1293)幸明 外九十名
三号塔 文保三年(1319)覚祐 外百八十名
(かつらぎ町HPより)
大峯修験者の碑(和歌山県指定有形文化財) - 境内東にある鎌倉時代から
室町時代に建てられた石造の五輪卒塔婆で4基ある。
高さは2.1メートルから3.6メートルあり、
正応6年(1293年)、正安4年(1302年)、文保3年(1319年)、延元元年(1336年)の刻銘がある。
修験行者の行事の模様をうかがわせるもので、和歌山県指定有形文化財に指定されている。
(Wikipediaより)
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大きな梵字石碑
光明真言板碑
寛文二年(1662)に建立された大きな板碑は、光明真言曼荼羅碑と言う。
正面の円形内には、下辺から右回りに光明真言の梵字、背面には多くの僧名が刻まれている。
この頃より念仏講が形成され、板碑が建てられるようになった。
(かつらぎ町HPより)
※は~い!
モデルさん~その位置で!
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梵字曼荼羅
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興味津々!
※脇には~
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脇ノ宿石厨子
もともと脇ノ宿にあった石厨子は、明治の頃ここに移された。
この中には,葛城修験の御本尊「役の行者」の石像が安置されている。
葛城修験は、毎年四月七日丹生明神の御神体を山伏の笈に移して脇ノ宿にこもり、
五月四日天野を出発し、加太よりニ上山まで二十八宿四十九院を巡る。
六月十八日御神体が神社に還る神還祭まで修業を行う。
(かつらぎ町HPより)
※気に成るのです~
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御影堂跡
方形三間、三尺の周縁をめぐらせた堂に、大師尊像を安置していた。
建暦元年(1211)源頼朝の妻、二位の尼(北条政子)が天野社への社殿寄進とともに、
女人禁制の高野山に登れない女人と夫の菩提のために建てられたと言われている。
(かつらぎ町HPより)
※マムシに注意!
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杉木立の向こうに本殿舎
※向こうの山の上に2つ鳥居が~
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この祠は?
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祠の脇に宝篋印塔
※祠の裏に庚申塚
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大念仏(だいねんぶつ)一結衆 宝篋印塔
(室町時代前期 応永二十三年 1416年、砂岩)
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気に成ります~
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