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令和八年、2026年は魔夏~涼しい所へ行こう!
丹生都比売神社、高野山、
小学校の林間学校思い出します。

全国の丹生神社元社、高野山の開山逸話
今ですよ今!
前には~01
有名武将の墓所、前畑頑張れ!とまことちゃん…
ほぉ~と感嘆が漏れます。
005和歌山県伊都郡高野町高野山(大門、そして)~15

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
6輪ポタで~相棒自転車は…歩きポタに変更します。
浮ドンとまだサンと~!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和八年07月26日
                                           UP日:令和八年08月15日

西の入口
大門です~

※流石に標高848m附近

大門(だいもん)
高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。
開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、
それを総門としていたそうです。
山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。
五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。
左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。
この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、
江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。
正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、
処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。
この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡っては
わたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。
また、大門の横手には弁天岳登山口があり、
山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)

※

仁王様
阿
「運長(うんちょう)」は、江戸時代中期(元禄・宝暦頃)に活躍した
京都の御室(仁和寺の門前)を拠点とした
大仏師・北川運長(きたがわ うんちょう)のことです。

(AI回答)

※重要文化財金剛峯寺大門の仁王像である。
元禄16年(1703)に造立されたもので、東大寺南大門の
金剛力士立像に次ぎ我が国で2番目のまれにみる巨像である。
向かって右の阿形像は高野山大仏師を称する
京都の康意が左の吽形像は京都五条仏師の運長が制作したことが、
像内の納入品でわかる。
康意の阿形像は鎌倉時代の運慶様式を巧みにとりいれ、
運長の吽形像は江戸時代の新様式の作品といえる。
(和歌山県文化財ガイドブック)

仁王様
 吽

再建後なら
時代は江戸時代作

※見返って~

説明板

※地図の確認

「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして

※処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)

一段下がって
街中風景~

※

町石六町

東側から~

※西日が~

西方浄土を望む形~

※

西日の日向は35.0度だそうです~
風は涼しいのですが~

※各々報告~

大門の横手には弁天岳登山口があり、
山頂には弘法大師が勧請された
嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。

※今回パスで~

花坂の焼餅買って~

※今回終了~~
お疲れ様!
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