
壇上伽藍横の三鈷の松と御影堂
三鈷の松
金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木があります。
この松の木にこのようなエピソードが残っています。
弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教をひろめるに
ふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と
呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲(しうん)たなびき、
雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。
後にお大師さまが高野近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があるとのこと。
早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、
お大師さまはこの地こそ密教をひろめるにふさわしい土地であると決心されたそうです。
その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。
現在では参詣者の方々が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、
お守りとして大切にされています。
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
※檜皮葺が綺麗です。
白人さんばっかり~
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御影堂
【重要文化財】もとは、お大師さまの持仏堂として建立されましたが、
後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。
桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、
堂内外陣にはお大師さまの十大弟子像が掲げられています。
このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは
許されませんでしたが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、
御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
※御影堂の向こうに壇上伽藍
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ここでも透かし彫り彫刻が目を惹きます。
※鳳凰
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裏側
※木鼻も~
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正面龍
※裏側~
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綺麗ですね。
※全景は~
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内部には孔雀明王
孔雀明王(くじゃくみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。
衆生を利益する徳を表すとされる。
猛毒のヘビを食べるクジャクを神格化したものとされる。
7世紀から8世紀初頭のタイでは、嘴をもつ有翼動物に騎乗する
仏陀の三尊像が造られている。
日本では人々の苦痛や災厄をとるものとして信仰される。
日本では奈良時代ごろから信仰され、創建当初の西大寺金堂に安置されていたとの記録もある。
仁和寺には北宋時代の絵画が伝えられ、高野山金剛峯寺には快慶作の彫像が残されている。
(Wikipediaより)
※説明板
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気に成りますよね!
※伽藍
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西塔
【重要文化財】お大師さまの伽藍建立計画案である『御図記(ごずき)』に基づき、
高野山第二世である真然大徳によって建立されました。
お大師さまは、大塔と西塔を、大日如来の密教世界を具体的に表現する
「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として二基一対として建立する計画をお持ちでした。
しかし、諸般の事情により建設が遅れ、お大師さま入定後の
仁和2年(886年)に完成に至ったものです。
西塔では、大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、
金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されています。
現在の塔は、天保5年(1834年)に再建された、擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔で、
高さは27.27メートルです。 根本大塔 お大師さま、真然大徳(しんぜんだいとく)と
二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。
お大師さまは、この大塔を法界体性塔とも呼ばれ、真言密教の根本道場における
シンボルとして建立されたので古来、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、
周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による
十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、
堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
※蟇股の塊のような~
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内部
※相輪
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軒下状況
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日本で最初の多宝塔
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中門用材伐採切り株
※説明板
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御社
【重要文化財】お大師さまが弘仁10年(819年)に山麓の
天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされました。
高野山開創の伝承にもあるように、高野山一帯は元々この
丹生(にう)明神の神領であったと伝わります。
お大師さまは密教を広めるにあたり、日本の地元の神々によって
その教えが尊ばれ守られるとする思想を打ち出され、
神仏習合思想の大きな原動力にもなりました。
高野山においても修行者らを護り導くとされる四社明神への
信仰は大変大切にされています。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、
三宮は総社として十二王子・百二十伴神がまつられています。
丹生、高野明神社の構造形式は春日造で、総社は
三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ばれ、
どちらも檜皮葺の屋根で仕上げられています。
現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
※修復工事中でした。
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説明板
※時間が掛かりそう~
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向かいの~
山王院
【重要文化財】山王院は御社の拝殿として建立された、
両側面向拝付入母屋造り(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物で、
桁行21.3メートル、梁間7.8メートルあります。
山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味であり、
現在の建物は文禄3年(1594年)に再建されたものです。
このお堂では、毎年竪精(りっせい)論議や御最勝講(みさいしょうこう)などの
重要行事や問答が行われます。また毎月16日には明神(みょうじん)様への
御法楽として、月次門徒・問講の法会が行われています。
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
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日陰は風が涼やかで~
※
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六角経堂
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、
紺紙に金泥(きんでい)で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。
この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川(現在の那賀郡桃山町付近)の
庄を寄進された事に由来して、荒川経とも呼ばれるようになりました。
したがって、この六角経蔵は、別名「荒川経蔵」といいます。
現在の建物は昭和9年(1934年)2月に再建されました。経蔵の基壇(きだん)付近のところに
把手がついており、回すことができるようになっています。
この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り
読誦した功徳が得るといわれています。
この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は、重要文化財として霊宝館に収蔵されています
(高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
※ここでも
南地大和屋坂口御夫婦銘が~
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ユックリ回してね~
※マニ車の様な~
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